浅田次郎が語る、物語作家としての主義 「天然の美しさを無視して小説は成立しない」
創作ノートの類いは作らない
ーー浅田先生は現代小説と時代小説、両方のジャンルを発表していますが、ご自身にとってこの二つは、車の両輪みたいなものなのでしょうか?
浅田:あんまり深く考えていない(笑)。子供のころからずっと、嘘話ばっかり考えているというだけ。嘘つき少年だったから、先生に嫌われてたなあ。そういうわけで、小説家にでもなるしかなかったんですよ。嘘をついて出世できる仕事なんて、ほかにないから。ただし、嘘をつくための責任は取るというのが、僕の主義。特に時代小説においては史実に責任を持つ。だから、こと細かに資料を調べるし、できる限り現場を歩いて取材します。
ーー浅田先生の時代小説は、史実と違っている場合もあるのですか?
浅田:土台は本物だけれども、その上に乗っかっているものは作り物という感じかな。作家には、フィクション作家とノンフィクション作家がいますけれども、資質はちがいます。ノンフィクションは、いかに忠実に誠実に書くかでしょう。僕はノンフィクションは書きたくない。事実の枠の中だけで書くということができないんです。だから、戦争物を書く時などは、徹底的に事実を調べなければならなので、その狭間で悩みます。『終わらざる夏』のような大作を書く時には、軍人たちには実在の人間を使うしかない。架空の部隊は使えません。だけれども、その中で繰り広げられるドラマやキャラクターは全て、作った物。
ーー浅田先生の場合、いわゆる構想というのは、どの段階までのものを指すのですか?
浅田:僕は基本、創作ノートの類いは作らない。作ると、物語がその枠の中から出られなくなるんです。小さく縮まってしまう。でも作家になった初期は、相当綿密に考えていました。『地下鉄に乗って』を書いた時は、新宿の闇市のジオラマまで作りました。あのころはまだ生の取材ができたから、闇市で商売していた人を訪ね歩いて、精巧な地図を作ってその中で物語を作ろうとしたんです。確かにリアルです。ただ、読み終わった時に「窮屈な小説だな」と思った。次が予想できるようにしか、なって行かない。それをリアルと言う人もいるかもしれないけれども、窮屈だと思う人もいる。『プリズンホテル』ですら、これなら創作ノートを作ってる間に書けちゃうだろ、っていうぐらい綿密に書いた。でもどこかから、自分の表現の命は想像力なんだろうなって思うようになって、そこから自由に書くようになりましたね。『壬生義士伝』のころには、かなり自由ですよ。自分で思いついたストーリーを、途中で継ぎ足したり。話を野放図に転がしちゃいけないから、そこは考えなきゃいけないけれど。
ーーその想像力というのはいつも頭の中にアイディアが飛び交っていて、それをキャッチするような作業なのですか?
浅田:考えようとするとダメですね。これは天から降ってくるようなものですから。だから、それを受け止められるテンションに、自分を保っておくことが大切。いつ来るかわからないから。僕は枕元にメモ帳を置いてあるんです。夢に見たことをすぐメモできるように。『黒書院の六兵衛』のアイデアは夢でした。なぜか江戸城の中で、鬼ごっこしてる夢。寝てても油断できないんです。忘れちゃうのもある。すごくいい夢を見たなっていう記憶はあるけど、中身が残ってない。これは神様が僕にくれたものを、受け止め損ねたんだと思っています。