『バキ道』5巻、力士軍団 VS カオス軍団はなにを意味する? 板垣先生の“提言”を読み解く

すべてはフィジカル勝負

 その視点で改めて本巻を読み返すと、総合格闘家軍団は、やはり自分たちがやってきたMMAの戦いを地下闘技場でやっているにすぎないと自ずと気づく。そしてそのMMAの戦いというのは細かくウェイト分けされた、同階級同士で厳格なルールのもとでの戦いである。その戦いに挑む姿勢からは自分の戦い方をすれば相撲ごときに負けないという驕りすら感じられる。“フィジカルの天才”と呼ばれる力士を目の前にしているのにも関わらず。それでは勝てるはずがない。勝ち目などあるはずがない。

 こと身体を使ういかなる競技においても、フィジカルの優劣というのは競技能力に決定的な差をもたらす最大の要因である。日本のスラッガーがMLBで活躍できない要因もフィジカル。日本サッカーが世界と比べて劣る要素もフィジカル。NBAで活躍できる日本人がつい最近まで登場しなかったのもフィジカル的な要因が大きかった。もちろんフィジカルで劣る分を技術でカバーするという例もあるが、例えばハンマー投げで金メダルを獲得した室伏は、そもそもフィジカルの天才であり、そんな彼が技術を身につけたからこそ、フィジカルオンリーで戦う東欧勢と互角以上に渡りあえたわけで、ベースとしてのフィジカルがなければ、その土俵にも上がれなかった。極真空手創始者の大山倍達も「技は力の中にあり」という言葉を残している。技術の効果をどれだけ大きく有効に発揮させることができるかは、結局その人の身体能力によるというのは紛れもない事実の一つである。

 大相撲とはそんなフィジカルの天才たちの集まりである。フィジカルというのは単に大きさ、重さだけではない。筋肉量、質、腱の強さ、骨の太さ、骨密度、肉密度。そしてそれらを意のままに操るコーディネーション能力。それらの力を瞬間的に発揮させる爆発力。おおよそ人体を構成するあらゆる要素において、先天的な資質も含めてフィジカルに恵まれた存在が力士なのである。

 双方が同じ条件下で戦うなら、大きいものが勝つ、力が強いものが勝つ、身体能力が高いものが勝つ、身体的に凡才なら、天才には敵わない。そんなシンプルでわかりやすい原理原則を、カオスを始めとした総合格闘技軍団を通して我々に改めて知らしめてくれたのが、今回の『バキ道』であったとは言えないだろうか。その戦いを経た上で、徳川&金竜山率いる本陣である刃牙たちは、改めて力士の天才ぶりを全員が素直に認めて敬意を表する。その上で自分たちを素人の天才と称して来たるべく戦いに向けて高まる闘志を隠しきれない。”素人の天才”という表現は、おそらく身体的な資質では敵わないけど、こと”戦い”に関しては幾多の死闘を含め、潜り抜けてきた修羅場の数、実戦経験の豊富さへの誇り。ただ”強さ”を求めて鍛錬に費やしてきた年月に対しての自信が窺える至言である。果たして地下格闘場の戦士たちと宿禰は、大相撲に対していかなる戦いを見せるのか。力士の持つ”力”と”格”に対して、戦士としての”力”と”格”をどのように示していくのか、興味は尽きない。地下闘技場で力士と刃牙たちが向かい合ったら、もうそこには戦いしか起こらない。己の全てをもって、どちらが強いかをただ比べ合うだけである。読者はそれをただ楽しむのみ。それが「刃牙シリーズ」である。

 そして個人的にはあの男が、戦士としてまさかの形で完全復活を遂げたことも今後に向けて期待が大きくなるポイントである。板垣先生曰く、ピクルとの戦いでAランクに格が上がりつつも、その代償に一線で戦う状態でいられなくなっていた彼が、いよいよその”格”を知らしめてくれるその瞬間をいち読者として楽しみに待つとしよう。

■関口裕一(せきぐち ゆういち)
スポーツライター。スポーツ・ライフスタイル・ウェブマガジン『MELOS(メロス)』などを中心に、漫画、特撮、芸能、ゲーム、モノ関係の媒体で執筆。他に2.5次元舞台のビジュアル撮影のディレクションも担当。

■書籍情報
『バキ道(5)』
板垣恵介 著
価格:本体454円+税
出版社:秋田書店
公式サイト

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