伊東竜二が語る、傷だらけのデスマッチ人生 「不恰好でもチャンピオンになれば、お客さんはそういう目で見てくれる」

 プロレスのジャンルの中に「デスマッチ」というものがある。簡単に説明すると凶器攻撃などのあらゆる反則が認められた、流血が当たり前のプロレスだ。椅子で殴るのはもちろん、相手を有刺鉄線やカッターが設置されたボードの上に投げつけ、そして頰に鉄串を刺して貫通させる。選手もちろん、見ている観客の心さえも痛みを伴うプロレスだ。では、なぜそんなプロレスに観客は熱中するのか? それはデスマッチでしか得られないカタルシスがあるからである。言うなれば痛みを乗り越えた先にしか存在しない感動。それがデスマッチの魅力と言える。

 そんな「デスマッチ」の世界で15年近くに渡りトップを走り続ける男がいる。大日本プロレスに所属する伊東竜二。そんな伊東が自伝『デスマッチ・ドラゴンは死なない』(ワニブックス)を出版した。今でこそデスマッチを「天職」という伊東だが、本書では自ら望んでデスマッチに飛び込んだ訳ではないということが語られ、それどころか様々な局面で運命に身を任せてきた、伊東のキャリアが見えてきたのである。何かと積極的でないと許されない今の世の中、与えられた運命を受け入れた上で、自分の道を開拓し続ける伊東の人生は、読むものに多大な影響を与えるだろう。今回はそんな伊東に著作について詳しく語ってもらった。(編集部)

運命に導かれたプロレス人生

――執筆のきっかけはなんだったのでしょうか?

伊東:夏に登坂(栄児)社長から「今年は伊東の本だと思うんだ」といきなり言われました。「はい……」と答えたのですが、心では「面倒だなぁ」って思っていましたね。

――自伝を読んで興味深かったのが、伊東さんが意外と自らすべてを決定していくというよりは、運命に身を任せている部分が多いということです。

伊東:確かにそうですね(笑)。

――プロレスを志すきっかけも大学の出席日数が足りず、かといって親に留年するとは言えない。もう、どうにも行かなくなってプロレスを選んだというのも驚きでした。

伊東:家にずっといて何もしてなかったですからね。プロレスはテレビで見て雑誌を買ったり、近くに来たら見にいくくらい好きだったので、それならもうプロレスラーになるしかないと。

――そこから大日本プロレスに入団するわけですが、厳しいトレーニングによく耐えられましたね。

伊東:何もしていないなかでも、近くの運動公園に行ってジョギングに行ったり、家で腕立てやスクワットをやっていたりはしたので、そこはなんとかと出来ましたね。

――これも書かれていましたが、「嫌な先輩や同期がいなかった」というのも続けられた理由のひとつなのでしょうか?

伊東:そうですね。(グレート)小鹿会長曰く「俺は相撲界からプロレスに入って、いじめられた経験があるから、そんなのはやらねぇように言い続けてるんだ!」とは言っていて、それは受け継がれています。でも、その小鹿会長自体がとんでもない人なんですけど(笑)。

――大日本プロレスが経営難のときに、「俺がどうにかしてやる!」と言って、工事現場のバイトを紹介されたというエピソードからも、小鹿さんの凄さがわかります(笑)。しかし練習は今のように、理論に基づいた練習ではなかったようですね。

伊東:とりあえず受け身とかは、説明じゃなく何度も投げられて、ある日できるようになるという感じで、今のように理論的に教えてもらうことはなかったですね。

――そういう根性論的な練習も、悪いところばかりじゃないと書かれていました。

伊東:そうですね。でも、人に教えられないんですよ。自分もある日、突然できるようになったので(笑)。「やればできるようになるよ」と言うしかない……。

――そして「いい試合負けて得るものより、たった1回予想を覆す勝利、そして勝ち続ける方が得るものが大きい」と書かれていたところです。普通の自伝なら「負けから得る」となると思うのですが。

伊東:これはプロレス以外の勝負事とは少し違うかもしれませんが、プロレスはお客さんあってのもの。予想を裏切ることで、お客さんのリアクションがどんどん変わっていきます。それによって成長していくんですよ。そこは、お客さんに育ててもらっている側面が大きいので。だから、いい試合をして負け続けるよりは勝ち続けた方が、その機会に恵まれる回数が圧倒的に増える。不恰好でも良いからチャンピオンになれば、お客さんは自然とそういう目で見てくれます。

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