高橋ヨシキが著した、新しいスター・ウォーズ評 『ファントム・メナス』の映画的功績とは?

 「愛憎」。それこそ、ジェダイの教えにおける最大の禁忌だ。しかし、スター・ウォーズを語るとき、誰しも自らの愛憎を抑制するのは困難極まりない。好きなドロイドやデザインについて、あるいは期待に反した新作映画に対して。誰しもの血肉となっているこの映画を、愛憎抜きにただ冷静な視線からのみ語ることはできるのだろうか。

かつて別れを告げたはずのスター・ウォーズ

  『スター・ウォーズ 禁断の真実』を上梓した高橋ヨシキは、雑誌『映画秘宝』でライター/アート・ディレクターとして参加する傍ら、NHKラジオ『すっぴん』や、ライムスター宇多丸がMCを務める『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)にも出演するライターだ(著書に『暗黒ディズニー入門』があり、その本は評者である私が編集を務めたものだと、ステマだと指摘されないようにここで念のため断っておきます)。『アフター6ジャンクション』の前身番組『ウィークエンド・シャッフル』では、全6回にわたって『フォースの覚醒』を予想しながら、スター・ウォーズを振り返る「月刊わたしのスター・ウォーズ」というコーナーにホストとして出演していた。しかし新シリーズへの期待を裏切られ、『ローグ・ワン』を契機に一時「スター・ウォーズ決別宣言」をしたことがあった(参照:https://www.mag2.com/p/news/246719)。

 「映画として目を見張るところもあるし、ファンとして思わず喜んでしまう部分もある」としながらも、「”ファンの気持ちを最大限忖度しておけば間違いない”という感覚」(マグマグインタビューより)に基づいて作られる、映画の製作プロセスそのものに対して異を唱えていた。シミ・スカイウォーカーを殺されたアナキンのような深い怒りがあったはずだ。

 それから4年、かつて決別したスター・ウォーズについて書き下ろす本作は、さながら『ジェダイの帰還』のクライマックスでのダース・ベイダーのような境地の一冊だと言える。ヨーダは「ダークサイドに一度足を踏み入れたものは、二度と元の道に戻ることはできない」とアナキンに忠告をしたことがあった。だが、なぜアナキンはライトサイドに帰還することができたのだろうか。本書では『クローンの攻撃』と『ジェダイの帰還』の二つの章を割き、その問いに答えるため作品論的にフォースの概念を再検討する。

フォースの概念とは

 「フォース」の元ネタが、アーサー・リプセット監督の実験映画『21-87』におけるやりとりにあったことは知っているひとも多いかもしれない。抽象的なドキュメンタリーである同作のなかで、カナダ人映像作家でのちにIMAXの共同開発者となる、ローマン・クロイターの次の発言こそがその原点だと言われている。

本質について塾考し、他の生物とコミュニケーションをとる中において、そこに何らかの<力(フォース)>のようのなものの存在を感じる、と多くのひとは思っている。我々の目に見える世界の裏側にあるものだ。人々はそれを<神>と呼ぶ(P44)

 「事物と事物の間にある力」という『スター・ウォーズ』に出てくるものと、非常に似たアイデアがたしかにここでは語られている。近年では『フォースの覚醒』で、フィンのストームトルーパー時代の識別番号が「FN-2187」だったこともあり、なかばルーカスフィルム公認のインスパイア元にすらなりつつもある。ルーカスが「フォース」という概念を映画に導入しようとしたのは、実は『スター・ウォーズ』が最初ではなく、初の長編作である『THX1138』だったことなど、「フォース」という一語をめぐる歴史を著者は掘り起こしていく。著者が特に注目するのは、「フォース」という言葉が別の形に変えられていたことだ。

 ルーカスが1974年5月に書き上げた『スター・ウォーズ(新たなる希望)』のラフ稿と、その2カ月後に完成させた初稿には「フォース・オブ・アザーズ(他者の力)」(P45)という別の名前で記されていたという。ルーカスが”わざわざ”加えた「他者」という言葉にこそ、スター・ウォーズそして真の主人公であるダース・ベイダーの物語の本質があると著者は論を展開していく。……が、本書の白眉なので紹介はここまでにしておきたい。

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