仏文学者・澤田 直が語る、ミシェル・ウエルベックの読み方「詩と批評が融合している」

ウエルベックはフランス文学の伝統に連なる小説家

ーーウエルベックでフランス文学に興味を持った読者も少なくないと思います。現在、フランスではどんな小説が読まれていますか。

澤田:今、フランス文学の中心になってるのは女性作家たちで、一人称の語りで性や暴力の被害をテーマとした作品が多いですね。ヴィルジニー・デパント、カミーユ・ロランスなどの優れた作品が次々と出ています。日本の作家だと、村上春樹はフランスでも読まれています。ウエルベックが好きな人に僕がおすすめしたいのは、フィリップ・フォレストです。彼はウエルベックとはまったく違う形で、ポエジーと批評性が同時にある作家で、より理知的というか文化的な感じです(笑)。ウエルベック的な、人の暗部を覗き見するような感覚はあまりないので、一般受けはしないかもしれないけれど。お嬢さんを亡くした経験から書き始めた作家で、年齢的にはウエルベックより少し下ですが、昔ながらのエクリチュールがあるというか、非常に細やかな文体を持っています。僕自身、『さりながら』(白水社)などいくつか翻訳してますが、現存では一番好きな作家です。フランス文学はかつてほどの勢いはなくなっているかもしれませんが、探してみれば面白い作品もたくさんあるので、もっと翻訳して紹介していきたいですね。

ーー村上春樹もフランスで読まれているとのことですが、ウエルベックと比較するとどんな印象がありますか。

澤田:村上春樹の方がずっと真面目ですよね。村上春樹はやはり、文学を信じていると思う。対してウエルベックはもっとシニカルに笑いとばしてる感じで、文学を信じていない、少なくともそう装っている。そういう意味では、村上春樹よりウエルベックの方が21世紀的な作家なんじゃないかなと思います。今さら文学を素朴に信じることはできないけれど、何かを言葉で表現したい、せざるを得ないという切迫感がある。そういう部分を比較しながら読むと面白いのではないでしょうか。

ーーウエルベック作品の源流を探る上で、おすすめの古典はありますか。

澤田:まずはギュスターヴ・フローベールでしょうね。フローベールもショーペンハウアーが大好きだった人で、その代表作である『ボヴァリー夫人』(1857年)は名前ばかり有名で読まない人も多いと思うのですが、実にアイロニカルで読みがいのある作品です。それまでの文学では、悲劇は悲劇として悲しく描くものだったが、『ボヴァリー夫人』は恋愛に挫折して借金まみれになって自殺してしまうまでを、徹底的に突き放した視点から冷ややかに描くわけです。そこがフローベールのすごさですね。ユゴーの『レ・ミゼラブル』なんかは、まだ読者が主人公に同化できるけれど、『ボヴァリー夫人』はそうじゃない。そういう書き方は、ウエルベックの作品とも通じるんじゃないですかね。だって、誰もウエルベックの作品の主人公になりたいとは思わないでしょう(笑)。でも、ウエルベックの場合は、同化したいとは思わないけれど、自分と同じ部分があると感じさせる絶妙な筆さばきもあって、そこが一歩進んだところなのかなと。そう考えると、ウエルベックはフランス文学の伝統に連なる小説家でありながら、様々なテクニックを駆使して、多くの人に届く現代的な作品を生み出し続けている稀有な作家だと言えるでしょう。

(取材=神谷弘一/構成=松田広宣)

■書籍情報
『ショーペンハウアーとともに』
ミシェル・ウエルベック 著
澤田直 翻訳
発売:6月8日
価格:本体2300+税
発行/発売:国書刊行会

『セロトニン』
ミシェル・ウエルベック 著
関口 涼子 訳
発売:9月27日
価格:2,400円+税
四六変型・上製カバー 304ページ
発行/発売:河出書房新社

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