GLAY TAKURO、30周年後の迷いから取り戻したバンドの衝動と純度 「成長という幻想にGLAYを晒したくない」

AI時代だからこそ問う、“誰が表現するか”の価値
——アルバムの曲順としては、冒頭に「Dead Or Alive」「汚れた英雄」「EXOFIRE」「INAZUMA」といったハードエッジなロックナンバーが並んでいますね。6曲目の「CANVAS」以降は、やや内省的な楽曲が連なっている印象がありました。
TAKURO:コンセプトを決めていたわけではないんですが、周りからもそういうふうに言われるんですよ。ちゃんと自分の心をさらけ出せているのであれば、とても嬉しいんですけどね。
少し話が飛びますが、AI生成による楽曲制作、アート全般における影響がすごく話題になっているじゃないですか。僕はすべてに反対しているわけではなくて、音楽に詳しくなくても楽曲制作を楽しめるのはいいことだし、テクノロジーとして発展することで遠隔による医療手術や交通事故の防止に役立つ可能性もある。一方で「AIが人類を滅ぼすのでは」というニュースもありますけどね。何が言いたいかというと、こういう時代において表現者は、自分自身の核の部分を血みどろになって描かないとAIには勝てないということなんです。
——そういう行為が、人間が表現する意義につながると。
TAKURO:心の奥底にあるもの、本当は見たくないものを覗き込んで描く。そういう覚悟が必要だというのは、もう何年も前から感じています。それくらいAIの進化はすごいですからね。「汚れた英雄」のデモ音源の仮歌はAIだったんですけど、すごいクオリティだったんですよ。もちろんTERUはそれを軽々と超えるわけですけど。
——TERUさんが歌うということ自体、価値がありますからね。
TAKURO:記名性というか、「誰が歌うか」ということですよね。レコーディングのときもそのことを実感したし、「この人(TERU)は大丈夫だな」と確信しました。
——ギタープレイも同じでしょうか? つまり「誰が弾いてるか」が重要と言いますか。
TAKURO:その人だけのトーンみたいなものは大事だと思います。ただ一概には言えなくて、AIのギターでも「これはいいな」と思うことがあるし、人間が弾くギターを聴いて「なんて味がないプレイなんだ」と感じることもあるので。今回のアルバムに関しては、GLAYらしい選択ができたと思うし、それが自分たちの喜びにつながっていますね。
——アルバムには「悲願 GLAY×世武裕子 feat.小田和正」も収録されています。世武裕子さん、小田和正さんとコラボレーションできるロックバンドも稀だなと。
TAKURO:『クリスマスの約束』(TBS系)に僕らみたいなバンドは出てないですからね(笑)。オフコースは僕の音楽的な原体験でもあるんですよ。ロックに目覚める前に触れていたのがオフコースだったり、大変お世話になった谷村新司さん、北海道の先輩である松山千春さんだったり。小田さんの音楽は自分の系譜にあるし、このコラボレーションは“夢が叶った”という感覚でした。
この曲はベスト(『DRIVE 2010〜2026 -GLAY complete BEST』)、シングル(『Dead Or Alive』)にも収録されているんですが、アルバムの流れやバランスを考えると、やっぱりこの曲が必要だと思って。ただのラブバラードではないし、30周年を終えて、悲喜こもごもを経験してきたロックバンドにとっては「悲願」という曲がふさわしいなと。レコードでいうとB面の1曲目ですね。



















