改名に懸ける未来「嘘がないと自信を持って言える」 YUTORI-SEDAIからYU'Sになるまでの物語

 「今まで以上に、ありのままで、等身大で、だけどひとりよがりじゃなくて、ちゃんとあなたのために歌を歌っていくということに対して真剣に向き合っていきたい」――。YUTORI-SEDAIだった彼らは、バンドの改名を伝えたライブでそう口にした。新たなバンド名は「YU'S」(ユーズ)。一人ひとりの“あなた”と向き合うための、覚悟の改名だ。

 YU'Sとして初の作品となるEPには、セルフタイトル=『YU'S』の名が冠された。その事実だけでも、彼らがバンドとして、ひとりのプレイヤーとして、ひとりの人間として、大事なターニングポイントであることがわかるだろう。音楽人としての始まり、改名、制作……今のYU'Sを形成するすべてを話してもらった。(編集部)

近い距離感で歌を歌えるバンドにならないといけない(金原)

――「YUTORI-SEDAI」というバンド名から「YU'S」に改名を発表しましたが、どうして改名することになったのでしょうか?

金原遼希(きんぱらはるき/Vo/Gt)(以下、金原):ずっと「聴いてくれる人に寄り添いたい」という気持ちでいたんですが、同時に「アーティストとしてこういなきゃいけない」という自分のなかの固定観念に勝手に縛られているようなところもあって。言ってしまえば、かっこつけちゃっている自分がいたなと気づいて反省したんです。そもそも僕たちは3人ともネガティブ思考だし、自分のダメなところ、弱いところを自分から探しにいっちゃう人間なんですが、そういうやつらが何をかっこつけてるんだ、って。そうじゃなくて、等身大の弱さをちゃんと出して、ありのままで、本当にみんなと近い距離感で歌を歌えるバンドにならないといけないなと思った時に、バンド名を変えようと思いました。

――バンドとして心機一転のタイミングだったんですね。

金原:はい。もちろん「YUTORI-SEDAI」というバンド名がイヤだとかそういうわけではまったくないです。「YUTORI-SEDAI」というバンド名をつけた時は、その言葉の持つネガティブ性をポジティブにしていこうという思いも込めていたし。だけど、つけた当時よりも「ゆとり世代」という言葉自体が世のなか的にそんなにネガティブではなくなってきたというのも感じていて。だから、ちゃんと一貫して自分たちの伝えたいものとリンクしたバンド名にしたいという思いも改名した理由のひとつでした。

――「みんなに寄り添いたいと言いながら、かっこつけている自分たちがいた」とおっしゃっていましたが、それに気づいたきっかけが何かあったのでしょうか?

金原:歌詞を書いている時に思いました。去年だけでもEP含めて6曲くらい曲を出したんですが、そのなかでどういう歌詞を書いたらいいのか迷ってしまって。自分がやりたいことはバンドを始めた時から変わっていないんですけど、ありがたいことに曲が以前よりも聴いていただけることになって、ライブの動員も増えたりして規模感があがっていくなかで、さらに期待に応えなければならないという思いが強くなり、「何かすごいことを成し遂げないといけない」とか「結果を出さないといけない」と、数字にとらわれてしまっている自分がいて。思っていることを書くことよりも、「どういう曲を作れば伸びるか」という脳みそになってしまっていた。そのことに、去年、歌詞を書いている時に気づきました。SNSのバズなどで、思った以上に曲が広まっちゃったところもあって。「広まっちゃった」と言うと、なんか違うんですけど……。

――予想していない勢いで広がってしまったというか。

金原:そんな感覚でした。

――新しいバンド名は「YU'S」。この名前はどのような思いで決めたでしょうか?

金原:僕たちにはもともと「あなた一人ひとりに歌いたい」という思いがあって。「みんな」じゃなくて「“あなた一人ひとり”の集まり」という思いで「you」の複数性からまずは「ユーズ」という言葉を思いつきました。とはいえ、YUTORI-SEDAIとしてやってきたこともちゃんと大事にしたいし、YUTORI-SEDAIの曲たちもこれからもやっていきたいと思っているので、「YUTORI-SEDAI」から「YU」を取って「YU'S」にしました。あと、今作にも収録されている「yume」という曲も、個人的に思いのこもった曲で。その夢がこれからも続いていくという意味もちょっと込めています。

――使っているアルファベットが「YUTORI-SEDAI」のなかに入っているものなので、YUTORI-SEDAIから離れた感じも少ないですよね。

金原:そうなんです。ロゴも、上下でフォントを分けているんですが、今までを大事にするという意味で下のフォントはYUTORI-SEDAIで使っていたものなんですよ。境目の線が斜めになっているのは、右上がりにすることで「もっといくぞ!」という思いを込めました

――ロゴにも思いが込められているんですね。

金原:はい。とにかく歌詞でもライブでも、ベクトルを自分に向けるのではなく“あなたに”というところを重視したいと思っているんです。歌詞を書く時も自分の本音をストレートに表現するだけじゃなくて、聴いてくれる“あなた”がどう感じるのかということを考えながらやっていきたい。今までやってきたことをさらにもっと高いレベルで研ぎ澄ましていこうみたいな気持ちが強いかもしれません。

――先ほど「どういうものを作ればいいのかわからなくなってしまった」とおっしゃっていましたが、今後そういう気持ちになった時に、このバンド名があることで、今おっしゃったような初心に立ち返ることができそうですね。

金原:変わらない軸みたいなものが、3人のなかでできた感じがします。

矢沢永吉、Mr.Children、BUMP OF CHICKEN、嵐……異なるルーツ

金原遼希(Vo/Gt)

――YUTORI-SEDAI時代も含めてインタビューではリアルサウンド初登場ということで、あらためて皆さんの音楽遍歴や楽器を始めたきっかけも教えてください。

上原駿(Ba)(以下、上原):僕はおじいちゃん、おばあちゃんと同居していたのですが、おじいちゃんがずっとクラシックギターをやっていたので、家に常にギターが何本か置いてあったんです。だから、僕もちょいちょい触っていたんですけど、当時はうまくなろうとは特に思っていませんでした。音楽をちゃんと聴くようになったのは中学生の時、中学校での親友がMr.Childrenさんがめちゃくちゃ好きで、その影響で僕もMr.Childrenさんを好きになって、音楽にどっぷりハマっていきました。で、高校に入ってベースを始めた、というのが音楽の始まりです。

――Mr.Childrenを教えてもらった時、ギターでカバーしたりはしてなかったんですか?

上原:してなかったです。中学校の頃は本当に「聴くのが好き」というだけでした。

――そこから高校に入ってベースを始めたのはどうしてだったんでしょうか?

上原:中学3年生の時、高校のオープンスクールという、オープンキャンパスみたいなもので軽音部の発表を見たんです。そこで「ベースってかっこいい!」と思って。ベースの、別に前に出てくるわけじゃないけど、いなくちゃいけない存在っていうところに惹かれました。

金原:それで言うと、逆に僕はベースから始まってるんですよ。

上原:そうだったんだ!

金原:楽器を始めたのは高校の軽音楽部に入ったのがきっかけで。最初はギター、ベース、ドラムがいて、僕はピンボーカルをやっていたんですけど、せっかく軽音楽部に入ったんだし、いずれは楽器もできるようになりたいなと思って、ベースをやっているメンバーが幼馴染だったこともあり、よく彼の家に行って練習させてもらっていました。

――そもそも軽音楽部に入ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

金原:父親がずっと矢沢永吉さんのファンで、物心ついた頃から車でもずっと矢沢さんの曲が流れていたので、なんとなく音楽には興味がありました。中学生くらいの時に兄貴がやたらとバンド系のCDを買い始めたので、それをiPodに入れさせてもらって聴いているうちに「バンドってめっちゃかっこいいな」と思うようになっていきました。いちばんハマったのはBUMP OF CHICKENさん。それまではサッカー少年だったんですが、バンドをやってみたいし、「歌うか」と思って。高校で軽音楽部に入りました。

――歌はずっとお好きだった?

金原:はい。歌は昔から好きで。歌いたいという理由でバンドを始めました。

――櫻井さんが楽器を始めたきっかけは何ですか?

“本当の意味で届ける”ための方法

上原駿(Ba)

櫻井直道(Dr)(以下、櫻井):僕は妹がいて、その妹が通っていたピアノ教室の先生と母がすごく仲が良かったんです。ある時「何か楽器をやってみない?」と言われて、「じゃあドラムをやりたい」と答えたのが、ドラムを始めたきっかけです。

――どうしてドラムだったのでしょうか?

櫻井:その先生が当時、WaTさんやMINMIさんの後ろでドラムを叩いている方でMステにも出ていたんです。それを見て、ミーハーの僕は「ドラムってかっこいいな、楽しそうだな」と思って、ドラムを選びました(笑)。

――当時、聴いていた音楽はどういうものでしたか?

櫻井:本当にドラマやテレビが大好きな子だったので、ドラマの主題歌になっているような曲をよく聴いていました。特に嵐さんなどのグループの曲はめちゃくちゃ聴いていましたね。J-POPが中心でした。

――ドラムではどういった音楽を?

櫻井:最初は、たぶんTOKIOさんの「宙船」。「これ叩きたいです」と先生に言いました。習っているうちにバンドにもハマっていき、東京事変さんや木村カエラさんの曲もやるようになりました。

――そして、同級生だった金原さんと櫻井さんがYUTORI-SEDAIを始め、途中からサポートメンバーを経て上原さんが加入されて現在の形になりました。結成当時から「寄り添う音楽を」と掲げていらっしゃったと思いますが、そういう音楽を目指しているのはどうしてだと思いますか? ご自身が音楽に救われてきた経験があるとか?

金原:それについて、一度すごく考えたことがあって。根本はやっぱり自分に自信がないからだと思うんです。自信がないぶん、音楽を始めて歌ったり、曲を作ったり、一緒に演奏したりするなかで、それを「いいね」と言ってくれる人がいることがすごくうれしくて。弱いからこそ、自分がやったことで誰かに影響を与えられたり、その人が元気になってくれたりすることに、すごく価値を感じる自分がいるんです。そんな自分だからこそ、他人のツラい気持ちも多少理解できるところがあるんじゃないかと思うし、そういうところに寄り添いたいと思ったんだろうな、と。

上原:受け取る側の視点で言うと、落ち込んでいる時に「大丈夫だよ、気分上げていこうぜ」みたいに言われるより、その時の感情をそのまま肯定してくれる、理解してくれるような曲のほうが好きで。

――落ち込んでいることに対して、「それでいいんだよ」と言ってくれるというか。

上原:はい。楽しい時は「楽しくいこうぜ」でいいですし。そうやってその時々の感情に寄り添ってくれる曲が好きで、自分もそういうアーティストでありたいなと思います。

櫻井:3人とも性格が似ていて、自信がなくて、弱くて、いろんなことで迷ってしまうタイプなんです。だからこそ、無理せずありのままの姿で、等身大の気持ちで寄り添ったほうが、より多くの人に本当の意味で届くんじゃないかと思っています。

櫻井直道(Dr)

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