Mrs. GREEN APPLE、“今”を引き受けるスターとしての覚悟 国立の舞台で生み出した巨大なロマン、鮮烈な名シーン
現在のミセスは、10代の頃の青い葛藤やバンドとしての実像からどれほど離れているのか――時期によって異なるその距離感が最も露わになる場所である『ゼンジン未到』では、あの頃のミセスと今のミセスが、曲を通して問いかけ合っているように聞こえる瞬間がある。あの頃の彼らが、今スタジアムに立つ自分たちを見たらどう思うのだろうと想像したくなる。そういう意味で、この日印象的だったのは二つの場面だった。
一つは、「CONFLICT」の直後に最新曲「風と町」が演奏されたアンコールだった。10代の葛藤を剥き出しにした「CONFLICT」と、より高次な視点から、自分を含む世界を包み込もうとする「風と町」。この2曲は一見対照的で、大森が10代の頃のように青い曲を書くことは、もうないのかもしれないと思わせられる。しかし2曲を続けて聴いていると、「風と町」にも人間らしい痛みや苦さが滲んでいることに気づく。大森は、葛藤を乗り越えて涼しい顔で世界を見渡しているわけではない。人生経験を重ね、曲のスケールが広がっても、今も葛藤とともに生きているのだと思わせられる並びだった。
もう一つは、大森が観客へ「どこまでも行こうぜ、永遠に一緒にね!」と呼びかけた場面だ。ライブ終盤で放たれたその言葉には、「永遠なんてないとあらゆる楽曲で歌い続けてきた、あの大森がそう言うのか」という衝撃があった。
ミセスが歌い続けてきたのは、世界の無常と、そのうえで何に希望を見出し、人としてどう生きるかという問いだった。永遠なんて存在しないことは、大森自身、とっくに分かっているはずだ。時代は移ろい、人は現れては去り、記憶と忘却を繰り返しながら、自分自身もまた変化していく。そこに対する寂しさが消えることもないだろう。それでも人は、幸せな瞬間に「この時間が永遠に続けばいい」と願ってしまう。そう願わずにいられないこと自体が、人間らしさなのだと思う。
そんなロマンを、大森はこの日、7万人に向けてまっすぐ口にした。人は担う役割が大きくなるほど、言葉を選び、本音を鎧の下に隠すようになる。しかし大森の場合、事情が逆に働いているように見えた。多くの人の期待や責任を引き受けた今だからこそ、希望や理想を臆さず口にする。たとえ綺麗事と呼ばれても構わない、だってそれが本心なのだから、というように、あえて踏み込んだ言葉だったのではないだろうか。Mrs. GREEN APPLEのフロントマンとしての役割意識と、極めて個人的で飾り気のない願い。その両方を引き受けようと腹を括った先に、あの一言があったのだと思う。
ライブの最後、大森は観客に「時代が変わろうとも、一緒に皆さんと歳をとっていきたいなと思ってます。いいですか?」と伝えた。それは永遠を保証する言葉ではない。変わり続ける世界を受け入れながら、それでも一緒に歩んでいきたいという気持ちの表明だ。その思いに応えるように、ラストの「ケセラセラ」では7万人の歌声が響いた。
(※)『音楽と人』2015年8月号