なぜ稲垣吾郎&草彅剛&香取慎吾は「わからない」を表現するのか 映画『バナ穴 BANA_ANA』に期待する“未来”の予感
稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾による最新映画『バナ穴 BANA_ANA』(正式表記はアンダーバーは穴の絵文字)が、2026年初夏に公開されることが決定した。本作は、2018年に公開されたオムニバス映画『クソ野郎と美しき世界』の第2弾にあたる。
前作『クソ野郎と美しき世界』は、全国86(=野郎)館かつ2週間限定という異例の上映形態ながら、観客動員数28万人を記録。当初目標として掲げられていた15万人を大きく上回り、新しい地図を広げた3人の船出を象徴するうれしい出来事となった。
公開が終了するタイミングで“第2弾制作決定が発表され、ファンの期待は一気に高まったものの、気づけば8年という歳月が流れていた。『バナ穴 BANA_ANA』は、まさにNAKAMA待望の一作といえるだろう。
新作の監督/脚本を務めるのは、鬼才・山内ケンジ。前作では、歌を食べて生きる少女と歌えなくなったアーティストの出会いから始まる物語を描いた「慎吾ちゃんと歌喰いの巻」を手がけた人物でもある。香取が演じた“歌えなくなったアーティスト”という設定は、フィクションでありながらどこか現実と地続きでもあった。平成を代表する楽曲を歌い続けてきた3人が、当時「持ち歌はない」と語っていた事実を思い起こさせたからだ。
そう、『クソ野郎と美しき世界』に漂っていたのは、当時彼らがダイレクトに声に出すことがはばかられたさまざまな感情だった。追われ、奪われ、失ったものを取り戻そうともがく。「クソ」と悪態をつかずにはいられない日常。しかし、だからこそ刹那のエンターテインメントが世界を美しく照らす。「ゼロからのスタート」「必死です」と言っていた彼らにとって、それでもこの世界を照らし続けるという決意表明のような作品でもあった。
それから8年――。世界は想像以上に変化した。彼らが地上波テレビにカムバックしたとはいえ、そこは“元通りの世界”なわけではない。新世代の表現者たちとの出会いもあれば、新たな技術が広がっていく、まさに何があるかわからない“新しい地図”と呼べる場所。だからこそ、今描かれる映画は、そんな「わからない」を楽しむものになっているのだろう。
公開されたティザー映像には「ワカラナイ・ザ・ムービー」というテロップが表示され、公式サイトにある「作品鑑賞後『わからない』と苦笑いする関係者が続出」という文言も愉快に響く(※1)。「観る者のイマジネーションによって完成する美しい作品です」(稲垣)、「謎めきすぎて癖になる」(草彅)、「考えないで、感じて」(香取)と、彼らのコメントを見てもさっぱりどんな映画かわからなくて面白い。
「わからない」という感覚は、本来どこか不安を伴うものだ。8年前はどちらかといえば、その不安のほうが大きかった。それは3人にとっても、彼らを応援するNAKAMAにとっても同じだったはずだ。しかし今、彼らは「わからない」を不明瞭なものとして恐れるのではなく、むしろ余白として楽しむ側へと踏み出している。すべてが定義されていた場所から、何にも縛られない場所へ。『バナ穴 BANA_ANA』は、今の彼らだからこそたどり着けた、その自由のかたちなのだ。
“正しさ”が瞬時に提示される時代において、わからないままでいることは、ある種の贅沢でもある。AIの普及をはじめ、あらゆるものに答えが求められる現在、その傾向はますます強まっていると言えるだろう。
一方で、私たちはどんどん遊ぶことに不慣れになっているのではないか。香取がよく生放送の結びとして「また遊びましょう」と言っていたのを思い出す。遊び心があるからこそ、エンタメは楽しい。そして、楽しいエンタメがあるから、この世界は美しくなる。
稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾を使って、映画で大いに遊ぶことができる。8年前にはまだ輪郭すらなかった“未来”にたどり着いた彼らとNAKAMAに、心から拍手を送りたい。そしてこの作品が、また次の物語へとつながっていく――そんな未来を、手繰り寄せるような上映になることを願っている。
※1:https://bana-ana.com/