国内外クリエイターの“コライト交流”、京都開催『SONG BRIDGE 2025』をレポート 宅見将典に聞く参加の手応え

宅見将典

 そして最終日となった21日には、本キャンプに2日間参加した宅見がリアルサウンドの取材に応じた。『SONG BRIDGE 2025』という試みの意義や、自身の参加したセッションで制作した楽曲についてはもちろん、『MAJ』やグラミー賞についても幅広く言及。持ち前のサービス精神を存分に発揮し、短時間ながら濃密なトークを展開してくれた。

『SONG BRIDGE 2025』参加クリエイター:宅見将典インタビュー

ーーまず、宅見さんがこの『SONG BRIDGE 2025』に参加することになった経緯を教えてください。

宅見将典(以下、宅見):何しろ初の試みなので、詳しいことは正直僕もあまり理解してはいなかったんですけど(笑)。京都でコライト合宿をやるということで、呼んでいただいて。僕は大阪生まれなものですから、京都は身近な土地でもありますし……実は、このセッションには大阪の実家から通ったんですよ。毎日ここに来て大阪に帰るっていうのも、昔を思い出す感じがあって。

 それと、そもそも『MUSIC AWARDS JAPAN』にアドバイザー的な立場で関わらせてもらっているというのもあったので、その流れで『SONG BRIDGE 2025』にも自然と参加させていただいた感じですね。『MAJ』は「アジア版グラミー賞を目指す」という、今までになかったものを志している賞じゃないですか。自分は本家のグラミー賞をいただいているということもあって、「こういう投票制の大々的な賞が日本でも始まるんだな」という感慨もありましたし。

ーーグラミーを獲っている日本人なんて、ものすごく限られますもんね。

宅見:個人名義で自分の曲で、となると3人ですかね。坂本龍一さんと、喜多郎さんと。プレイヤーとして獲っている方はもうちょっといらっしゃるんですけど、僕はやっぱり「自分の曲で、自分の名義でグラミーを獲りたい」という大きな大きな、非常に危険な夢を掲げてしまった。

ーー危険?

宅見:ええ。というのは、そんな夢、普通に考えたら叶うわけないじゃないですか。言う人は多いけど、結局は夢物語で終わっちゃうことがほとんどで。その場合、どこかで最初の夢を諦めて夢の形を変えられる人も多いですよね。それもひとつの才能だと思うんです。でも、僕にはそれができない。だから危険なんですよ。だって、その夢が叶わなかったら自我が保てなくなってしまうくらい、自分を追い込んでいたので。

ーー結果的にはそれが奏功したということだと思いますが。

宅見:運よくその夢を叶えることができて……本当に運がよかったと思うんです。これってもう、ほとんどオカルトの世界というか。まだノミネーションまでだったら5枠とかあるので、ある程度実力でどうにかなる可能性もありますけど、受賞となると……でも、ノミネートされたときが一番うれしかったんですけどね。……すみません、すっかりグラミー賞の話になっちゃって(笑)。

ーーいえいえ。『MAJ』も、それくらいミュージシャンが思い入れられる大きな賞になっていってほしいですよね。

宅見:そうですね。まだ初回なので、皆さんどういうものなのか掴みかねていると思うんですよ。そこはやっぱり、僕の立場で協力できることがあればしていきたいなという気持ちもあります。

その日だけバンドを組んでいた感覚に近い

ーーでは『SONG BRIDGE 2025』の話に戻りますが、簡単に言うとどういう試みになるんでしょうか。

宅見:日本でこういうアワードが始まったことに際して、そのアワードウィークに海外から作家やアーティストを招聘して作曲セッションをしましょう、ということですね。しかも日本のヒストリカルなこういう場所(取材は京都・本山興正寺で実施)に臨時スタジオを設けて、それを行う。あり得ない状況というか、得がたい環境で作曲作業をすることによって、視覚的あるいは環境的な効果もあるでしょうし、できる曲も変わってくるでしょうし。面白い企画だなと思いますね。

ーー(どこからともなく笙の音色が響いてきて)ものすごく雅な音が聞こえてきましたが、“得がたい環境”って、つまりこういうことですよね。

宅見:まさに(笑)。言ってみれば僕がアメリカに行ったときにアメリカ人とコライトするようなことを、海外の人に経験してもらおうという。逆に日本人でも、まずこんなところで作業する機会はないですよね。ただ、お寺の環境に影響されすぎて、みんながお経みたいな曲ばっかり作ったらどうするんだろう? とふと思ったりもしますけど(笑)。

ーー(笑)。実際、コライトするにあたって何かお題みたいなものは与えられるんですか?

宅見:僕の初日のセッションはギャビちゃん(ギャビ・アルトマン)という、“フランスのノラ・ジョーンズ”と呼ばれているアーティストがいるチームだったんですけど、彼女の曲を作るというお題でした。なので、すごくフレンチポップみたいな曲を作ったんですよ。普段だったら作れないような。やっぱり今はダンスミュージックの時代なので、フレンチポップを作る機会もあまりないですからね。でもアーティストが目の前にいて、そのアーティストに曲を書くってなったら作れてしまう。しかも僕は生楽器を駆使するタイプのクリエイターなので、ジャズとかフュージョンでよく使われるようなクリーントーンのカッティングが大好きなんですよ。今回の曲ではそれもやれたんですね。シャッフルビートのゆるーい、J-POPの世界ではまずあり得ないようなものが作れたので、それはすごくうれしかったです。素の自分でやれたというか。

宅見将典
宅見将典、Gabi Hartmann
Gabi Hartmann

 

ーー普段の仕事ではできない音楽性にチャレンジできるというのも、こういう企画ならではですよね。

宅見:本当にそうで。いつもは何かを意識して、もともと自分が好きで聴いてきたジャンルとは異なるEDMやらトラップビートやらを見よう見まねでやったりしていて……まあ、それが面白いと言ってもらえる場合もあるので、悪いことではないんですけどね。ただ今回は、目の前にいるアーティストが歌うための曲を目の前で作るというシンプルな話だったので。何しろ彼女の声がもうここにあるから、めちゃくちゃやりやすいんですよ。

ーー特定のアーティストに当て書きするにしても、音源を聴きながら想像で作るのと目の前に本人がいるのとではまったく異なりますよね。

宅見:全然違います。何かを想像して補う必要がまったくないんです。しかも彼女はフランス語で歌うので、そのニュアンスも新鮮でしたね。こういうセッションって英語のことが多いので。

ーー英語とフランス語では、音符への乗り方も全然違ってきますもんね。

宅見:ええ。しかも彼女はウィスパーボイスですし。ある意味、その日だけ彼女がボーカルのバンドを組んでいたような感覚に近かったです。大学生のときにジャズにかぶれて音楽をやっていた頃と、同じような気持ちでやれたというか。

ーー無邪気に。

宅見:そうです! なにも考えずに。しかもその初日のセッションは、会場が平安神宮だったんですね。綺麗な日本庭園の池を眺めながら、ギターが弾けるという。環境に影響された部分も大いにありますし、すごく楽しかったです。

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