森重樹一が語る“ZIGGY”の看板を背負う意義、貫き続けるロックの本質 「残りの人生悔いなく音楽を」
「誰かのために機能しないエゴは自己中心的なものでしかない」
──森重さんというと非常に多作の印象が強くて、特に2000年代以降はZIGGYのほかにも複数のバンドに関わり、さらにソロとしても活動していた。アルバムを年に2、3枚出したこともあったと思うんです。そして、ここ2作はZIGGYとして毎年アルバムを発表しているわけで。
森重:結局、音楽において一番強いのは、俺は言葉だと思うんですよ。最初に俺が作るものはラフスケッチのようなもので、じゃあそれをどういう形で表現してみるか、まずそれをアコースティックで試してみるわけです。そこからはさっきの盛り付けの話と一緒で、100円ショップに売ってるような食器に盛り付けてみて「何が不足しているんだ、何を足せばこの音楽が映えるのか」を考える。もちろんハイライトだけじゃダメで、山や谷がなければ音楽の起伏は作れないわけですから。そういう曲の断片を、最近は携帯にメモもできるけど、そうするとそのメモを見ながらボイスメモで録音ができなかったりするからしばらくずっと手書きだったんですよ。手書きで歌詞を書いて、それを見ながらボイスメモで録って、だいたいのフィーリングを残しておくわけです。たぶん、皆さんこれを見たらびっくりすると思うんだよね(スマホの中にある数十以上におよぶ歌詞のメモや新曲アイデアのボイスメモの一覧を見せる)。
──おお……ものすごい数じゃないですか!
森重:ここ3年ぐらいかな。ボイスメモにもこんな感じでフレーズごとに残しているんです。どうかしてるでしょ(笑)? 毎日こんなことをしながら生活しているけど、それができて幸せだし、別に使う使わないはともかくやってみようと思うことが大事で。最近は自分自身シンプルなところに立ち返っていて、ギターを弾きながら歌える曲をまず書いてみて、それをバンドに持っていく際にはより複雑なリフを作ろうとか、そういうこともやるわけです。だけど、まず自分は何を歌いたくて、この曲で何を感じてもらいたいのか、自分自身は何を感じているのか、そういうことをやらないことにはどうしようもないんだよね。この先いくつまでやれるかわからないけれど、そういうメモがすべて作品化されるかはともかくとして、それでも将来的にこのフレーズの断片を目にした時に過去の自分の記憶が引きずり出され、また新しい発想が生まれる。いつもそんな感じなんですよ。
──そうやって生まれた曲の断片を、今のバンドメンバーとともに完成形へと導いていくわけですね。
森重:タロウと俺がサウンドの全体像について、まずおおまかにコンセプトを作るんです。で、そこから各プレイヤーが肉付けをしていくんですけど、CHARGEEEEEE…のドラムプレイは彼自身がずっと作ってきたオリジナルのスタイルですから、オールドスクールに対しても彼ならではのアプローチがある。でも、それでいいと思うんです。オールドスクールなものをオールドスクールどおりに作ったら、それは既存のものと変わらない。だけどオールドスクールなアイデアに対して、例えばToshiくんとCHARGEEEEEE…のコンビネーションで新たなミクスチャーが生まれたとしたら、それはやるに値するものだと思う。そういう意味でも俺はCHARGEEEEEE…には「ガンガンやっていいよ」と伝えるし、彼自身もそれを喜びとしてくれている。で、達哉さんに関しては……レコーディングではキーボードって最後に入れることが多いんですけど、今は引き算を意識してもらっていて。若い頃は欲張りだったからなんでも詰め込もうとしたけど、結局何かと何かがバッティングしてその両方が相殺してしまってあまり役に立たないようなダビングもあった。「ここで聴かせるべきはこれだよね」とみんなで判断できる今だからこそ、例えばここは抜き気味に弾くとか実践できるわけです。
あとは……今回の制作期間、俺の中でランディ・ローズブームがきて、「この曲のアレンジ、オジー(・オズボーン)みたいにしようぜ!」って話も出てきたんですよ(笑)。ランディってルックスが美しいから華美なギターを弾く印象があるかもしれないけど、実際のサウンドは荒々しくて、それこそが彼のカッコよさだと俺は思っているので、「そういうのをやってみない?」みたいな話で作ったのが1曲目の「ROSARIO」なんだよね。
──なるほど! あれはオジーだったんですね。いろいろと腑に落ちました。
森重:そこに横関敦っていう、旧知のスーパーギタリストに派手なプレイを加えてもらって。彼は俺に対してもリスペクトの気持ちを持っているし、俺も彼に対してギターヒーローってこういうものだよなってリスペクトしていて、「機会があったらまたやりたいね」と話していたんです。
──横関さんとは2019年の中野サンプラザ公演でも共演していましたが、音源となると『BLOND 007』(1994年)以来30年ぶりですね。
森重:ちょうど今年の3月に松田樹利亜さんの30周年イベントに、俺と横関がゲストで出させてもらって。俺はPA席のところであいつのギタープレイを観て、圧倒されて唸ったんですね。そういう再会があったからこそ「またZIGGYでも弾いてもらいたいな」と思って、それをメンバーに伝えたらみんな大喜びで。特にタロウが「横関さんに弾いてもらうんだったら、ここは先にライトハンドを使ったハモを入れておきますよ!」って言ってくれて、そのあとに横関がギターをガーンと弾くみたいなお膳立てをしてくれたんです。タロウ自身も横関に対してすごくリスペクトの心を持っているから、レコーディングで横関がギターを弾く姿に目をキラキラさせて「すげーっ!」ってキッズに戻っていて。
──そんなことがあったんですね。
森重:とにかく、結局は音楽なんじゃないかなと思うんですよね。で、スキルは本当の意味での最重要事項じゃない。スキルというのは音楽を表現するための手段であり、その表現のために手段を磨く。そういうところはZIGGYを始めて40年経って、「そうか、こういうことを考えられるようにもなったし、それを実現させてくれる仲間たちにも知り合えたんだ」ってことが俺にとって一番嬉しくて。ZIGGYは始めた当初からステレオタイプのことをやり続けるバンドではなかったし、だからこそ今も続けられているんだと思う。このあと流行りものにどうこうということはないですけど、とにかくみんなのプレイがより熟しながら続けられたらいいなと思っています。
──実際、今作にはいろんなタイプの楽曲が収録されていますし、だからこそ“これぞZIGGY”と呼べるメロディラインを持つ「お前のいない世界に意味など無い」がより光ることになる。ただ、こういうタイプの曲も昔だったらもっとルーズなアレンジで表現していたんじゃないでしょうか。
森重:そうかもしれないですね。今回はイントロ部分での速弾きからスタートして、そのあとに重いリフとともにハーフビートになったり、歌い出しの部分ではキックの4分打ちが入ったりしますし。昔のZIGGYは4分打ちでいいグルーヴに繋がらなかったから8ビートでやっていたんですけど、CHARGEEEEEE…は4分打ちでグルーヴを生み出すのが特に上手いので、そこを活かすとこういうアレンジになるわけです。そして、大サビにいく前の泣きのメロディも昔からの自分の十八番ですけど、あそこまでメランコリックに表現できるのは今だからこそだと思っています。それこそが多くの人に必ず感動を与えると信じてやっているわけです。
──そういう楽曲群の中に「追いかけて」みたいな、結成初期に演奏していた楽曲が含まれているのも興味深いです。
森重:去年の夏にオリジナルメンバーの岩田仁樹というベーシストが不幸にも亡くなって。この曲は結成間もない頃、彼と一緒にプレイしていて、今回タロウが歌ってくれている〈追いかけて〉の掛け合いコーラスもかつて仁樹が歌ってくれていたんですよ。40周年というタイミングを逃したら、そういう曲をアルバムに入れるタイミングってもうないじゃないですか。それを今のメンバーであれば、作った当時の自分のモチベーションを理解してくれて、かつテクニカルに、整合感を持たせて表現してくれると信頼していたので収録することにしました。
──確かにそうですね。
森重:あのギターソロのコード進行は、実はアルバムのオープニングとラストに入っているインストと同じコード進行を使っているんです。俺が19か20ぐらいのときに作ったメロディなんですけど、おそらく俺はあれを最初インストゥルメンタルとして作ったんだよね。で、あとからそれを「追いかけて」のソロに当てはめたんじゃないかなと思っているんだけど、あのメロディがアルバムの頭と最後にあること、そして「追いかけて」という大切な1曲のハイライトとしてあのメロディがフィーチャーされているところに、40年経っても一貫性があることを証明できた気がして。そういう意味でも、今回レコーディングできてよかったと思います。
──そう言われると、「ROSARIO」と「追いかけて」はテイストとして近しいものがありますし、この2曲で全体を挟むことでアルバムとしての統一感も強まりますものね。
森重:そうですね。とにかく核になるものがひとつ存在しているんだけど、決してその色だけで覆い尽くしているわけでもない。表現できる色が限定されるのだけは嫌だったから、今回は「何一つ思い通りに行かなくても」みたいなポップス的要素の強い曲も入れています。というのも、俺は子供の頃に筒美京平さんをはじめとする、素晴らしい歌謡曲の作家の方々がたくさんいらっしゃった時代に音楽に触れていて、そういう歌謡曲を超カッコいいなと思いながら聴いていたんです。自分の原点は間違いなくあの歌謡曲の時代にあるんですけど、そこからロックに出会ってどんどん聴く範囲を狭め狭めて聴くようになった。狭くすることによって熱量は上がるわけです。たとえば、ホースの先を狭めると放出する水の勢いは強くなるじゃないですか。ああいう感じですね。でも、スピードや勢いがどんどん増すにつれて、自分の原点に対して自己矛盾を感じるようになってしまう。要は、ホースの先を狭めるよりも、大河の流れのほうに魅力を覚えるようになるんです。その大河にはいろんな船が浮かんでいて、どの船も同じように動くわけではない。自分はそれを求めたくなって、いろんなジャンルのアーティストたちを模すようになるわけです。
──なるほど。
森重:ちょっと趣旨からはズレるかもしれないですけど……今年はAerosmithのスティーヴン・タイラー(Vo)が現役を退かざるを得なかったということが、俺の中でとにかく大きくて。彼が現役でいる以上は彼のような表現スタイルを使うことはあまり意味のないことだし、「ただのレプリカみたいにはなりたくはないから」という姿勢で歌っていたんですけど、「ああ、76歳というのはそういうことか」と。彼の歌い方はミック・ジャガーよりも喉に負担がかかるはずだから、たぶんミックの年齢まではやれないじゃないかと正直思っていた。「Dream On」のクライマックスをハイレンジで歌い続けなくちゃいけないって、すごいことだと思うんですよ。だから、今回のスティーヴンの件を経て、自分が彼からもらった何を個性に反映させていけるのかを考えて、ここからやれることはやってみようと考えた。彼はファンキーな16ビートが本当に得意で、クラシカルにも歌えればシャウトもスクリームも最高。そういうスタイルで憧れたシンガーの1人だし、おそらく彼が俺自身にとってのナンバー1じゃないかな。彼はダーティーな部分もあったしすごくクリーンな時代もあったけれども、その都度その都度自分の生き様を通して精一杯表現をしてきた人。そういう意味で言ったら、俺も今与えられた環境の中で精一杯やって、新たなチャレンジを続けていきたい。もちろん、それをやり通すことはなかなか楽なことではないけど、同じ場所にいようとする人間には継続だってできないわけですよ。何か違うものに挑もうと思える人じゃなければ何事も続かないし、向上心がなければそこで止まってしまう。だから、今やるべきことをやって、1曲でも多く書きたいという思いでいることがずっと希望だったんです。
──その挑戦心が今の精力的な創作活動や、バラエティに富んだアルバム内容に繋がっていると。
森重:そういうことです。俺はヘヴィメタルというジャンルの中にも、例えばGALNERYUSのSYUさん(Gt)みたいに好きなギタリストはいます。でもそれはヘヴィメタルだから好きなのではなくて、横関敦や高崎晃さんと同じようにミュージシャンとして何かを極めようとした人たちだから好きなんです。だから、パンクをやっている人たちの中にもそういう方はいらっしゃるわけですよ。それと同じように、上田正樹さんもすごく好きでね。以前、上田さんとテレビでご一緒したことがあったんですけど、その収録の場で「ちょっと待って。3分、時間をくれる?」と言って急に歌詞を書き始めて、そこにコード進行を当てたものをバンドメンバーに渡して「今からこれをやろうや」と、即興で曲を始めたんです。それが鳥肌が立つほど素晴らしくて、「そうか、音楽ってこういうふうに自由でいいものなんだ」とそのノウハウを見せてもらった気がしました。
──めちゃめちゃいい話ですね。特にライブにおいてはそういう即興性を重視するものと、決まった形に終始徹するものがあると思いますが、音楽がより商業的になるにつれて後者のほうが一般化してしまったところもありますものね。
森重:こういうことを言ったら語弊があるかもしれないけど、オケがコンピューターで作られているものだったら口パクでもいいわけじゃないですか。特に大きな会場だったら、歌っているのか口パクなのかわからないわけだし(笑)。もちろん、それでもその中で必死に歌おうとする方もいらっしゃるとは思います。俺はすべてを否定はしないけれども、エンターテインメントの有り様として常にトータルクオリティを上げようと思えば、そういう演出もありだと思う。多くのオーディエンスを均等に楽しませるためには、そういう方法しかない場合もあるでしょうし。だけど、俺は傲慢で自分勝手だから、「俺はこう歌いたいんだよ、嫌なら来てもらわなくてもいい!」ってやっぱり言いたくなっちゃう。もちろんそれじゃいけないと、最近は思うようにもなってきたよ。これは水商売だ、俺の生活を支えているだけじゃなくてバンドメンバーや事務所、いろんなスタッフも支えているんだと考えれば、俺自身のエゴだけで歌うのは違う。エゴはとても大切なんだけど、誰かのために機能しないエゴはやはり自己中心的なものでしかないと、俺は思いますね。
今日も隣の会場(横浜アリーナ)で日向坂46(ひなた坂46)がライブをやっているけど(※取材は10月下旬、ツアーリハーサル中に実施)、彼女たちは常にヒットシングルを披露してかないといけないわけじゃないですか。だって、みんなそれを楽しみにして会場に来るんだから。そのお客さんもいろんな層の方がいらっしゃって、男性ファンばかりかなと思ったらメンバーと同じぐらいの世代の女の子もたくさんいるし、それよりも上の世代の女性もいる。年齢の幅が広いということは、それだけエンターテインメントの質として裾野の広いものを持っている証拠だよね。彼女たちと俺らとでは活動の基盤もビジネスとしても規模が違うけど、エンターテインメントとしてみんなを楽しませるために何をすべきかは一緒なんじゃないかな。
──おっしゃるとおりだと思います。
森重:だから、今度のツアーではニューアルバムから全曲披露するけど、もちろんみんなが聴きたい曲もやるし、「これを久しぶりにやるんだ!」と古いファンが喜んでくれるような曲もやりたい。そのバランスが時には自分にとって新鮮なものになるだろうし、お客さんにもワクワク感を与えることにも繋がる。「いつもと同じだよね」ってなっちゃったら、もうやる意味がないだろうしね。過去には「GLORIA」をやらなかった時期もあるんだけど、今思えばあれは傲慢だったなと思う。オーディエンスがこうだと思うことと、俺がこうだと思うことの間には常にギャップがあるわけだから、仕方ないこととはいえそこを無視することはエンターテインメントとは言えない。だから今後も意識的に相互のコミュニケーションを図りながら、できるだけ多くの人に満足してもらえるライブを続けていけたらと思っています。
■リリース情報
20thフルアルバム『For Prayers』
2024年10月23日(水)リリース
品番:WAGE-12010
JAN:4573572420225
価格:¥3,300(税込)
発売元:ROCKGUILD INC.(レーベル:KILLER TUNE)
販売元:Sony Music Solutions Inc.
収録曲:
M1 ROSARIO
M2 涙の雨に打たれながら
M3 お前のいない世界に意味など無い
M4 真夜中のルート16
M5 BELIEF
M6 翼があれば
M7 何一つ思い通りに行かなくても
M8 闇を転がり続けろ
M9 眩しい花の色と緑
M10 追いかけて
全10曲収録
■ライブ情報
『ZIGGY TOUR 2024「For Prayers」』
12月13日(金)Veats Shibuya
開場 18:30/開演 19:00
(問)DISK GARAGE :https://info.diskgarage.com/
『Blue MUSE presents Immersive EnTaMe 「ZIGGY SPECIAL NIGHT」』
2024年12月31日(火)品川プリンスホテル クラブ eX
開場 15:30/開演 16:00
(問)DISK GARAGE:https://info.diskgarage.com/
■関連リンク
ZIGGY OFFICIAL WEBSITE:https://morishigejuichi.jp/