ももいろクローバーZ、女性グループ前人未到の国立競技場ライブ成功の裏にあったもの 10年節目に考える
今から11年前――2013年1月1日、夢だった『第63回NHK紅白歌合戦』への初出場を終えたももいろクローバーZは、翌日早朝のUstreamの生配信番組で自分たちに所縁ある場所をめぐり、そして集まっていたモノノフ(ファンの呼称)の前で「国立競技場に立ちたい」と宣言した。
同年12月23日、西武ドーム(現・ベルーナドーム)で行われた『White Hot Blizzard MOMOIRO CHRISTMAS 2013 美しき極寒の世界』で、2014年3月に国立競技場でライブを開催することをサプライズ発表。グループのマネージャー兼プロデューサーの川上アキラは書籍『ももクロ流 5人へ伝えたこと 5人から教わったこと』(日経BP社)のなかで「13年元旦、『国立競技場を目指す』と宣言した時点では、まさか1年後に本当に国立競技場でのライブが実現するとは思ってもいませんでした。ただ『国立競技場』という言葉を口にした瞬間にいろんなことが動き出したのです。関係者から『本当にやる気はあるのか』という質問を受ける機会も増えました」と振り返り、「やはり目標を口にすることは大切だなと実感しました」とその重要性を綴っていた。
「関係者から『本当にやる気はあるのか』という質問を受ける機会も増えました」というひとことには、いろいろな意味が込められていたと推察する。ひとつは、「やる気があるなら自分もサポートします」という前向きな意味。そしてもうひとつは、「実力的にやれるのか?」という懐疑的な目である。というのも、それまで女性グループが当時の国立競技場で単独アーティストとしてライブを実現させたことがなかったからだ。
そもそも国立競技場で初めて単独アーティストとしてライブを開催したのが2005年のSMAPで、その後もDREAMS COME TRUE(2007年)、嵐(2008年)、L'Arc〜en〜Ciel(2012年)と前例が少ないうえ、その4組はすでに日本の芸能史に名を刻んでいたアーティストだった。このビッグネームのなかにももいろクローバーZが加わるのは実際、夢物語に近かった。しかし、今から10年前の2014年3月、その夢が本当に叶うことになる。国立競技場で『ももクロ春の一大事 2014 国立競技場大会 ~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ〜』(以下、『ももクロ春の一大事 2014』)が開催されたのだ。
国立競技場でのライブ実現は、パフォーマンス力の強化にあり?
「国立競技場に立ちたい」と宣言する前後から、ももクロはハングリー精神をもって自分たちのパフォーマンス力を高めていた。特に、2012年8月にフォークライブイベント『お台場うたの盆まつり「ももいろフォーク村(Z)」』、同年11月に行われたアンプラグドライブ『ももいろ夜ばなし第一夜「白秋」』で歌勝負のステージに臨んだ点。『ももクロ流 5人へ伝えたこと 5人から教わったこと』でも記されていたが、ももいろクローバーZは活動初期「歌は口パクでいい」とされていたが、その後「下手でもいいから歌え」に変わり、いつしか「上手く歌うこと」が命題になった。国立競技場のような国内最大級のスタジアムライブでは当然、歌の面で相当なレベルが求められる。「国立競技場に立ちたい」という思いは、歌唱力の向上などに取り組んでいたからこそ堂々宣言できたものであり、またのちに夢が叶えられたのだ。
メンバー全員が同じ色の衣装を着て仮面を被り、ノーMCで2ndアルバム『5TH DIMENSION』のナンバーを曲順通りに披露した2013年3月開催『ももいろクローバーZ JAPAN TOUR 2013「5TH DIMENSION」』のあまりにストイックな姿勢も間違いなく、その後のパフォーマンスに好影響を与えたはず。さらに同年4月『ももいろクローバーZ 春の一大事 2013 西武ドーム大会 ~星を継ぐもも vol.1 / vol.2 Peach for the Stars~』では初めて生バンドと組んでのライブも経験した。
こうやって回想すると当時のももいろクローバーZは、ひたすらアーティスト性の強化に励んでいたことがわかる。そして、そういったスキルアップが実を結んで、国立競技場でのライブを実現することができたのではないだろうか。