鈴木亜美が今思う“幸せ”とは? DJ、フードアナリスト、ママタレント……挑戦の日々を振り返る

「30歳の壁は大きい」――DJの世界、そしてフードアナリストの資格取得へ

――2008年にはDJを始められていますが、DJの世界は楽しいだけでなく、特に最初は厳しかったそうですね。

鈴木:当時は女性のDJも少なくて、「いちタレントがDJなんてできるわけないだろ」というような空気もあって、めちゃくちゃアウェイだったんですよ。舐めていてはできないような世界でした。それでも、中田くんの作ってくれた曲をプロモーションするには、自分でクラブに行かないといけないと思ったんですよね。そういう世界の人たちに受け入れてもらえる音楽を作ったんだし、そこで発表していかないといけないと思って。それで3カ月くらいDJの猛特訓をして、始めたんです。

――クラブシーンに広めたいからといって、プロモーションをレコード会社に任せるのではなく、自分でDJの技術を習得して、自らクラブに行って回そうとする行動力が凄まじいですね。

鈴木:クラブミュージックを知ってるコアな人たちに認めてもらわない限り、クラブミュージックじゃないと自分のなかで思っていたから。それを認めてもらえていたのが中田くんだったんですよ。自分の曲を流していて、どちらかというとポップス寄りのクラブミュージックなのにバキバキに受け入れられていることが本当にかっこよくて、私もこうなりたいと思っちゃったんですよね。

 初めて自分のリリースパーティーでDJをした時は、みんな「しーん……」として(笑)。これを越えなきゃいけないんだと思って、テレビとかの他のお仕事も一旦お休みさせてもらって、ここでやり続けようと思ったんです。2年半くらいやった頃にようやく「DJ AMI SUZUKI」をわざわざ観に来てくれる人が少し増えてきて、4、5年経った頃に自分がホストになってパーティーを開くようになったり、『HOUSE NATION』をやったり。

――人間、歳を重ねるごとにうまくいってない自分を見せることが怖くなると思いますし、特に亜美さんの場合は、オリコンで1位を獲ったり、『紅白』に出たり、キラキラしていた過去の自分を世のなかの人が知っているという状況下で泥臭く頑張っている姿を見せることは、かなり勇気や覚悟のいることだと思うんです。

鈴木:ねえ(笑)。でも、それだけクラブミュージックの魅力に惹かれていたのかなと思います。「もう帰れよ」というような空気が、めちゃくちゃ悔しかったので。それまでは持ち上げてもらってレールの上に乗っているみたいな状態だったので、初めて見下される感じになった時に、「自分の力でこの人たちを見返したい!」と思ったんです。その気持ちが最初は大きかったですね。

――そして、30歳(2012年)になるとフードアナリスト3級の資格を取り、3年後には合格率15%と言われる2級にも合格されています。DJの世界からフードアナリストへ、これまた全然違う分野に飛び込まれたのはどういった想いからだったのでしょうか。

鈴木: 30歳の壁って大きいと思うんですよ。結婚して子どもを産んで生活していくのか、バリバリ仕事をしていくのか、別れ道に差し掛かるのが30代。今は両立できる時代になりましたけど、10年前ですから。そういう時期に、DJを続けていくのもいいんだけど、このまま夜の時間帯に活動する生活を30代も続けるのかなと思うと、ちょっと不安になったんです。芸能の世界からは求められていないだろうから、そこにはもう戻れないだろうなと諦めていました。なので手に職をつけなきゃというところで、好きだった料理を選んで、大変だったけどしばらく勉強していましたね。

――DJとしてコツコツと努力を積み重ねて理想の立ち位置にたどり着いたにもかかわらず、それを手放す決断は簡単にできたのでしょうか。

鈴木:年齢のこともあったんですけど、DJ界もすごく変わったんですよね。タレントさんやモデルの子も増えましたし、レコードやCDではなくパソコンでボタンひとつで操作できる時代になって、「これって誰でもできるんじゃないかな」と思っちゃったんですよ。熱しやすくて冷めやすいというか、「ここだ」と思った時の集中はすごいけど、やりきっちゃうんだと思います。

 フードアナリストの資格を取ったあとは、オファーをいただいたDJのお仕事はちょこちょこやりながら、「でもこの先どうするんだろう?」って、33歳くらいまでふわふわしてました。

――亜美さんにも人生の迷子になる時期があったんですね。

鈴木:夜飲み歩いて、いつも同じ店にいて、毎日ママとずっと語ってましたよ。自分の33年間を振り返って、「やりきっちゃったんだよね」「これといってすごくやりたいことがないんだよね」って(笑)。それまで頑張りすぎていっぱいいっぱいになっちゃっていたので、一回休憩して考える時間があの時には必要だったのかなと思います。

 その年末くらいの時期に自分のなかで仕切り終えて、「来年はちゃんと何かを見つけよう!」と思っていたら、旦那と出会ったんです。「次に集中するのは家庭を持つことなんだな」と思った時に、子どももできました。気持ちが落ち着いた時にそういう流れになったので、「人ってうまくサイクルができているのかな」と思いますね。そこからママとしてお仕事をいただくようになって、ありがたいことにまたテレビにも出させてもらえるようになったんです。

家事をやっているところなんて本当は見せたくないけど、これもチャンスだなって

――テレビ出演だけでなく、楽曲のリリース、ライブなど、お子さんが生まれたあとも精力的に活動をされています。そのモチベーションはなんですか?

鈴木:子どもができて、「ママとして頑張らなきゃ」と思うようになりましたね。「私が子どもに見せられるものって何だろう?」と考えると、やっぱり仕事をしてる姿だなと思ったんです。私が歌ったり、テレビに出たりしているところを観て喜んでくれているので、それがまた原動力になっています。子どもたちがどんどん成長していくなかで、自分も「もっと頑張らなきゃ」「本当にいい仕事をしたいな」という気になっていますね。

――2021年にはYouTubeチャンネルも始められて、家のなかやご家族のことも公開されています。アーティストにとってスター性を演出することが大事だった90〜2000年代から、プライベートまで見せる時代となった変化を、亜美さんはどのように感じていますか。

鈴木:かっこいいところしか見せられないし、言わない時代だったから、最初はInstagramに自撮りを載せることにも全然慣れなかったです。家のなかとか、家事をやっているところなんて、本当は見せたくないですよ(笑)。でも、これもまたチャンスだなと思って。

 さらけ出して、本音を言って、身近に感じてもらって、隣に住んでいる人のような感覚になってもらうのが今の時代なんだなと思って、恥ずかしさを乗り切りました。最初は「妊娠中の大きいお腹でルーティンとか見せちゃっていいのかな?」ってドキドキしたんですけど、それもまた久々に刺激がありましたね。出してみるとものすごく反響があって、同じようなママたちから「頑張れます」という声をいただくので、やってよかったなと思います。

――YouTubeやテレビでは、お子さんへの接し方が優しくてユーモラスであることが話題になります。心の余裕を持っていられる秘訣は何ですか?

鈴木:「まあいいじゃん」って思うことですかね。あまり自分を責めない。人を責めたところで自分も苦しくなるので、「人は人だからいいじゃん」って。「まあいいよ、そのくらいで」って思えることが大事かなと思います。32、3歳の飲んだくれていた2年間でガラッと変わりましたね。それまではすごく仕事人間で、“適当”なんてダメだったような人だったので。

――あらためて、亜美さんにとって“ファン”とはどういう存在であると感じていますか。

鈴木:親戚みたいな感じです。本当にありがたいんですよね。そういう人たちに恥のないように頑張らなきゃなって思います。ファンでいてくれている方が、次の世代の子たちに「ママ、パパはこの人が好きだったんだよ」と胸を張って言えるように頑張り続けたいです。そういう目で見てもらえたら成功かなと思います。

――最後に、今の亜美さんが思う“幸せ”とは何ですか?

鈴木:自分のなかで決めつけず、何を選択してもいいと思えること。「こうじゃなきゃいけないんだ」と決めつけることがいちばん苦しいです。何もしない時があってもいい。同じ日がないことが幸せだなと思いますね。

■リリース情報
『2SA ~Ami Suzuki 25th Anniversary BOX~』
発売中

9DISC(7CD+2Blu-ray+豪華フォトブック40P+特典グッズ封入)
29,700円(税込)/27,000円(税抜)/AQCD-77617~23/B~C

鈴木亜美 オフィシャルサイト:https://avex.jp/ami/news/index.php
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