ジャパニーズ・ブレックファスト、ミツキ……アジア系ミュージシャンが果たす新たな役割 不透明な欧米社会で創出する“居場所”
とりわけ、2018年のビヨンセの“ビーチェラ”以降、単なるヘッドライナーとして以上の意味合いを付与されつつあるのが、米・コーチェラ(『Coachella Valley Music and Arts Festival』)のヘッドライナー。その今年の顔として発表されたBLACKPINKの名前に、驚きを覚えたのは筆者だけではないだろう。アジア発のガールズグループが欧米のポップミュージック、ひいては欧米社会におけるプレゼンスを示す場に抜擢されたことは、2010年代後半から続くアジア系アーティストの躍進にとっても、ひとつ、象徴的な出来事となったように思う。
そのコーチェラだけでなく大型音楽フェスの多くが、アーティストにとってある種「公」の場となりつつある昨今だが、なかでも直近その言動が注目されたのが、日本生まれイギリス育ちのリナ・サワヤマだ。7月に開催された英・グラストンベリー(『Glastonbury Festival』)、その後のポルトガル・リスボンのフェス『NOS Alive』で、The 1975のフロントマンであり、以前は所属レーベルの取締役でもあった(現在は退任)マシュー・ヒーリーを批判するものと見られる発言が話題になったが、これはヒーリーが出演したポッドキャスト『The Adam Friedland Show』での、黒人ラッパー、アイス・スパイスに対する差別的発言や、アジア系を含む他人種・民族を侮辱する表現を受けたものだろう……というのはおそらく読者の多くも周知のはずだ。
カラード――主に黒人に対する、白人の有利性が堅牢に維持され続けている欧米社会。その中で、アジア系の人々はどちらかというと、「見えにくい存在」と言えるかもしれない(無論これは、他の人種への差別を軽視するものでは全くない)。だからこそアジア系に対する悪気ない侮辱的な言動、言い換えれば、サワヤマが件のフェスで「うんざりだ」と述べたマイクロアグレッション(自覚なき差別)もまた「見えにくい」という状態は、この日本にいながらも想像がつく。それは、「おとなしい」というステレオタイプで見られるアジア系女性ならなおのこと。リナ・サワヤマは、大文字のポップスのフィールドにいる自らの立場を生かしながら、欧米の中のアジア系の「二重の見えにくさ」――存在として、またその生きにくさとしての――を公にしようと働きかけているというわけだ。先に挙げたフェスでの発言、またそれに続けてパフォーマンスされた「STFU!」(そしてそのMVの内容も)は、まさにその直接的な表れだろう。
一方で、白人社会で生まれ育った、現地国籍のアーティストにも目を向けてみよう。ここで例として、一冊の本を挙げてみたい。ジャパニーズ・ブレックファストとして活動する韓国系アメリカ人のシンガーソングライター、ミシェル・ザウナーによる『Hマートで泣きながら』(集英社、2022年)だ。これは、アメリカ人の父、韓国人の母を持ち、オレゴン州・ユージーンで育ったザウナーが、一度はその価値観の違いから決別しかけた母を亡くした20代半ばを振り返り、母の愛を再発見しながら、母や韓国とのつながりを「食」に見出していく……という、自叙伝的エッセイ。アメリカでベストセラーとなり、昨年日本でも翻訳が刊行されている。
ここで注目したいのは、白人の多いユージーンで彼女が感じた「居づらさ」の体験談のパートだ。曰く、ティーンの頃に「あんたなんなの?」とクラスメイトに繰り返し投げかけられた恥ずかしさから、韓国人らしさを消して白人の友達に溶け込もうとしたのだというザウナー。アジア系としての自意識を自ら「見えない」ものにしてしまおうという青春時代の葛藤は、揺れ動くティーンの心が抱えるにはあまりに複雑だ。そんな彼女が出会ったのが音楽で、なかでも2000年代から活動していたYeah Yeah Yeahsのカレン・O(母が韓国系)に大きな衝撃を受け、ミュージシャンを志したのだとか。
ここで筆者は、はたと気づかされたのだ。白人社会の中のアジア系アーティストにとって音楽とは、単なる自己表現にとどまるものではないのかもしれない、と。つまり、彼女/彼らが音楽を紡ぐことは、白人社会の中で気がつくとかき消されてしまいそうな自分だけのアイデンティティや人生体験をこの世界に繋ぎ止め、自身のための心理的な「居場所」を創出するための営みであり、重要なキーアイデアなのではないだろうか、と。確かに、ザウナーのジャパニーズ・ブレックファストとしてのデビュー作で、批評筋からも好評を得た『Psychopomp』(2016年)はまさに韓国人の亡き母への想いを綴ったものだった。