『RUSH BALL 2023』プロデューサー・GREENS 力竹総明、コロナ禍でも止まらずに走り続けた25年間 音楽フェスの現在地を語る
やめる理由ではなく、“やる方法”を考えた2020年
――日本の野外フェスの草分け的存在である『FUJI ROCK FESTIVAL』が1997年、『RUSH BALL』は『RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO』と共にそれに次いで1999年に始まっています。ただ、2020年以降はコロナ禍もあって、今まで通りとはいかなかったわけで。
力竹:2020年の3月ぐらいからコロナ禍が始まり、5月にはほぼメンツも決まっていたなかでロックダウンになって、軒並みライブが中止になった。その時、休みに銭湯に行って風呂に浸かりながらふと「……やっぱりやろう!」って直感で思ったんですよね。やれない理由はいろいろあるけど、やる方法を探す人がいないなと思って。
――開催に至るまで日々更新されたオフィシャルサイトの感染拡大防止のガイドラインを見ていても、本当に大変そうだなって。いろんな声も届いていたでしょうし。
力竹:たとえば、地元の方からも「たまにDragon Ashを観に行ってるから『RUSH BALL』は知ってる」「うちのおかんは70歳を越えてるし、やっぱりコロナは怖い」「こういう状況下だと感染するんじゃないの?」とか……その声の先には自分だけじゃなくて家族がいるわけで。でも、最終的には「地元のだんじり(『泉大津だんじり祭』)は周りが怖がるから断念したけど、ルールをちゃんと作って対策して、しっかり頑張ってくれたら応援するよ」って。
――それも泉大津フェニックスで培ってきたひとつの信頼関係ですね。
力竹:ただ、市民を守る行政の方たちから「やめてくれ」と言われたら、街のバックアップがなければやる意味がないというか、今後も続けられへん。でも、市長もさっきの方みたいに、「全参加者が明確なルールを守るスタンスで頑張れるなら」と言ってくれたから実現することができたんですよね。
――実際、やってどう思いました?
力竹:いろんなことがありすぎて、正直あんまり覚えてない(笑)。でもそれは、やめる理由じゃなくてやる方法を覚えられないぐらい考えて、用意できたからかなって。ここ2、3年は、ストレスを発散するためにライブに行って、またストレスを溜めて、心から喜べない、吐き出せない状態というか。コロナがなかった頃は、アーティストの声が聴こえへんぐらいお客さんが歌うこともあったわけじゃないですか。あれはいいことやったんやなって、なんだか恥ずかしくなってね。結局、コロナ禍でいちばん印象的だったのは、今年のはじめに声出しがオッケーになったことかな。アーティストとお客さんの両者が感動するというか。ただ、やっと出せた声が、キュウソネコカミは〈ヤンキーこわい〉(「DQNなりたい、40代で死にたい」の歌詞)やったけど(笑)。
――3年待ってようやく出させる声がそれかい、と(笑)。
力竹:(笑)。2021年3月から『野外ミュージックフェスコンソーシアム』(※1)が立ち上がったんだけど、全国のフェスチームがチャット上で集まって、ことあるごとにZoomとかで会議して。本当に関西は立ち向かっていた印象がある気がしますね。かと言って、レジスタンスじゃなくて、ちゃんとお互いの理解を得ながら「消毒液はこっちのほうがいいよ」って教え合ったり、『RUSH BALL 2020』では非接触の体温計が足りなくて各社に借りたり……そういう助けがなかったら、あの年の『RUSH BALL』は成立しなかった。だから、自分たちだけでやったつもりは1ミリもないんですよ。