PANTA、頭脳警察の裏にあるポップメイカーとしての素顔 盟友・鈴木慶一との歩みで開花した“音楽への無邪気さ”

 そんなPANTAのポップメイカーとしての才能に早くから注目していた一人が鈴木慶一だった。かたや頭脳警察、かたや、はちみつぱいからムーンライダーズへと活動を進めていた鈴木……一見接点がないようだが、互いに存在を意識し合っていたそうで、三田祭事件(1971年の慶応義塾大学の学園祭で、はっぴいえんどの出番に頭脳警察がステージジャックをした事件)の現場にはちみつぱいも出演していたというニアミスもあったのだ。昨年暮れ、前述の通りPANTAと鈴木慶一に取材した際、鈴木は1969年に頭脳警察を初めてテレビで(!)観た時、「これは急いで日本語で歌わなきゃいけない」と焦ったと話してくれた。両者が制作を共にするのはPANTA&HAL名義のアルバム『マラッカ』(1979年)が最初のことだが、鈴木はその10年も前からPANTAのことを意識していたのである。

 アルバム『マラッカ』は今聴いても実にソフィスティケイトされた都会のポップスで、アフリカ、アラブ音楽、レゲエといった当時ワールドミュージックとされるようなスタイルのサウンドを積極的に取り入れた作品として今も高く評価されている。鈴木はその『マラッカ』と同じくPANTA&HAL名義での次作『1980X』(1980年)にプロデューサーとして関わっているが、この2作品でPANTAは頭脳警察とは全く違うポップ表現者としての側面を見事に開花させるに至った。もちろん、それ以前の初期のソロ作……例えばビクターエンタテインメント内ロック専門レーベルとして立ち上がったフライングドッグの第一弾作でもあった『PANTAX'S WORLD』(1976年)では、アメリカ南部風のいなたいロックをホットに聴かせていたし、山岸潤史、ジョニー吉長らが参加、半分以上が花之木哲との共作となった『走れ熱いなら』(1977年)ではさらにセッション色を強めたロックンロールを結実させていて、素晴らしかった。だが、ニューウェイヴの時代、まさしくその複合された音楽性さながらに、自身の広範で柔軟な趣向性を多様なアレンジの中でポップに結実させた『マラッカ』と『1980X』は、PANTAがロックもポップスも広く大衆音楽として捉えようとした重要作だ。と同時に、ボーカリストとしても新たな局面に入ったことを伝える作品でもあった。この2枚があったからこそ、“ナチスによるユダヤ人虐殺が始まった1938年11月9日の夜”をテーマとする屈指のコンセプトアルバム『クリスタル・ナハト』(1987年)が誕生したと言ってもいいのではないだろうか。まさかその2年後にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されることになるとはPANTA自身想像していなかったかもしれないが。

PANTA&HAL「マラッカ」
PANTA&HAL「ルイーズ」

 一般的なヒットという点では確かに縁がなかったかもしれない。それでも矢野誠、伊藤銀次をアレンジや制作に迎えた『唇にスパーク』(1982年)にはトヨタ・カムリのCMソングにもなった「レーザー・ショック」が含まれているし、その前作にあたるメロウな『KISS』(1981年)に至っては歌詞を他者に任せることで歌い手としての力量を強調する狙いもあったように見受けられる。その『KISS』のスウィート路線は賛否両論だったが、その時代が、あるいはPANTA自身も、ロッカーとしての硬派な顔だけではなく、都会的で洒落たポップ志向をうまく形にすることを望んでいたのかもしれない。一服のロマンティシズムやメランコリー、僅かな諦観と精一杯の希望と夢を盛り込もうとするこの時代のPANTAのソロワークスには、無論、作品によってはポリティカルな一面もあるが、“邪気のない10代の時の忘れ物”のような側面すら感じられるからだ。

PANTA「レーザー・ショック」

 鈴木慶一はおそらくPANTAのそうした10代の忘れ物たるジレンマにも気づいていたのではないかと思う。PANTAと鈴木は、1988年にノーベル平和賞を受賞した国連平和維持活動(PKO)になぞらえたネーミングのP.K.O(Panta Keiichi Organization)を1993年に結成するが、最初はオリジナル曲ではなくThe BeatlesやThe Doorsなどのカバーばかりでライブをするという、あくまでくだけたスタンスであろうとした。軽やかさ、ユーモア、もちろんちょっとしたロマンやメランコリーも交えるけれど、あくまで気軽に、想像力豊かに、メロディを鳴らし、楽しんで歌う。それこそがポップミュージックの理想的な在り方ではないかということに、もしかするとキャリアを重ねるごとにPANTA自身も自覚するようになったのかもしれない。

 P.K.Oは結局、結成当時にレコーディング作品を作ることはなかったが、年月は過ぎ、約30年を経た2022年にようやくスタジオに入った。昨年のクリスマスに配信でリリースされた「クリスマスの後も」と「あの日は帰らない」の2曲こそが、P.K.Oにとって初めてのスタジオ録音作品だ。当初ムーンライダーズのライブで一度披露していた「クリスマスの後も」を、鈴木は“決してシャウトしないPANTA”を想定してあえてPANTAに歌わせた。フレンチポップさながらの洒落たアレンジと、〈ずっと一緒にね〉なんて“らしからぬ”歌詞で。

P.K.O「クリスマスの後も」

 本当はこの春、それに続くミニアルバムがリリースされるはずだったP.K.O。鈴木によると曲を増やしてフルアルバムとして完成させる予定とのことだったが、そんな矢先にPANTAはこの世を去ってしまった。そう遠からぬうちに、そんなP.K.Oの最初にして最後のアルバムが届けられることだろうが、おそらくそこには小粋なポップス好きのPANTAがしっかりと刻まれているに違いない。頭脳警察とは全く違う、それより前のグループサウンズのバンドを組んでいた時ともまた違う、もっともっと無邪気にポップスを吸収していた10代の時の忘れ物を、まさに今、取りにいったような。最後にそんなポップなプレゼントが届く日を楽しみにしていたいと思う。

※1:https://rooftop1976.com/column/panta/230110170000.php
※2:https://rooftop1976.com/column/panta/211116150139.php

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