スピッツ、BUMP OF CHICKEN、椎名林檎.....なぜアーティストは”生き物”に歌を託すのか? 猫ソングが人気の理由も分析
去る5月22日、国際連合が制定した「国際生物多様性の日」に合わせ、電気グルーヴが「CREATURES of DENKI GROOVE」と題したプレイリストを公開した。電気グルーヴがこれまでリリースしてきた“生き物”をテーマにした楽曲を集めたユニークなプレイリストだ。
「ジャンボタニシ」「Oyster (私は牡蠣になりたい)」「Mole~モグラ獣人の告白」「カフェ・ド・鬼」……彼らが“生き物”を扱う楽曲には、電気グルーヴらしい言語感覚が暴れているものが多い。歌詞に意味やメッセージをあまり託さずとも、語感を追求するような楽曲において記号としてその楽曲を表象するのが“生き物”たちであり、一種のアートフォームと言える。
電気グルーヴのライブを体感するとよくわかるが、彼らの楽曲には人間の理性を取っ払い、本能的な興奮へと導く野性味が溢れている。通常のポップソングでは、到底題材になり得ない生き物たちを音楽のなかで扱うことによって、現実を支配する言語の秩序を破壊し、聴き手を高純度な音楽へと飛ばしてしまえるとも言えるだろう。
電気グルーヴに限らず、生き物を扱う楽曲は、そのアーティストごとに意図がある。たとえばスピッツは、2013年リリースのアルバムタイトル『小さな生き物』にも表れているように、“生き物”を題材とした楽曲を数多くリリースしてきた。「スパイダー」や「トビウオ」のような欲動に突き動かされる曲、「猫になりたい」のような憧れを歌う曲、または「シロクマ」や「はぐれ狼」のような自分自身のメタファーとして生き物の存在を用いる曲など、そのタッチはさまざまである。
ソングライターの草野マサムネ(Vo/Gt)は、人と動物を分け隔てなく描き続ける。あらゆる楽曲に、命としての弱さに対して本能的な優しさを向ける姿勢が刻まれている。今年4月にリリースされた「美しい鰭」も、“自分”を魚に見立てながら、世界の荒波に抗う温かな連帯を描いた歌だった。アーティストとしての果てしない想像力と聴き手への慈愛が、生き物の描写に映し出されているのだ。