水野良樹(いきものがかり)×橋本愛、HIROBA「ただ いま」を経たアーティストとしての“覚醒”

 いきものがかり・水野良樹と橋本愛の対談が実現した。

 水野良樹が主宰するプロジェクト・HIROBAが2月15日にリリースするフルアルバム『HIROBA』に収録される「ただ いま(with 橋本愛)」で初のコラボレーションが実現した両者。橋本愛は歌だけでなく作詞にも初挑戦し、切なくも温かい余韻を感じさせる物語性を持った情景を描いている。

 二人の出会いからこの曲の成り立ち、そして制作過程で見えた歌手/アーティストとしての橋本愛の“覚醒”について、両者に語り合ってもらった。(柴那典)

作詞のオファーを受けたときの気持ちは「やっときた、やっと書ける」

――お二人の初対面は?

水野:たしか『ミュージックステーション』の同じ回に出演していて、そこでご挨拶させていただいたのが最初です。しっかり話したのはNHKの『言葉にできない、そんな夜。』という言葉を扱うトークセッションの番組に出演した時ですね。

――橋本愛さんは2020年12月に「THE FIRST TAKE」で「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)のカバーを歌唱されました。あの曲は今回のコラボも含めた歌手としての様々な活動の起点になっていると思うんですが、振り返っていかがですか?

橋本愛 - 木綿のハンカチーフ / THE FIRST TAKE

橋本:「歌を歌いたい」という欲求を抑えられなくなって、事務所の方に相談して「歌をやりたいです」と言ってから、いろんなご縁があって「木綿のハンカチーフ」を歌わせていただいて。そこから水野さんやいろんな方との出会いがあった。あの曲が導いてくれているという実感はすごくあります。曲の持つ力に助けられているという自覚もありますね。自分の歌声や姿勢を褒めてくださることがあっても、やっぱりあの曲の素晴らしさが大前提としてある。運が良かったというか、ありがたい出会いだったなと受け止めています。私としては、今回のコラボレーションもそうですし、歌うことを許されているような状況が自分に訪れていることが、少し信じられないようでもあって、嬉しいです。

――水野さんは「木綿のハンカチーフ」のカバーを聴いてどう感じましたか?

水野:「ただそこにある」ということが成立しているのがすごいなと思いました。言葉が矛盾するようですけど、歌もお芝居も、本当に「ただそこにある」だけでは成立しないものですよね。様々な考えや工夫があって、それを踏まえてパフォーマンスするものである。でも橋本さんが「THE FIRST TAKE」で歌っているのを見たときに、過剰な演出もなく、かといって全てを投げ捨てている感じでもなく、本当だったら矛盾するような強い個性とそうではない没個性みたいなものがちゃんと共存しているように見えた。それがすごいなと思ったんですね。橋本さんにしか歌えないものがあって、そこにすごく惹かれました。それは簡単に辿り着けるものじゃなくて。ただ歌が上手ければそうなるわけではないし、技術だけでそうなるわけでもない。橋本さんがそれまでお芝居や人生で培われてきたことがにじみ出ているように思って。そこから一緒に何かものを作れないかな、なんなら自分の曲を歌っていただく機会がないかなとは考えていました。

――その頃からHIROBAで歌ってもらおうという発想があった。

水野:そうですね。で、その「THE FIRST TAKE」からちょっと経って、『言葉にできない、そんな夜。』での出会いがあって。その番組は名作と呼ばれている小説の表現についてや、このフレーズを自分たちで考えたらどうなるかといったことを語り合う番組だったんです。そこで橋本さんから飛び出てくる言葉がすごく面白くて、素晴らしくて。せっかく歌をお願いするんだったら、ご自身で作詞をやってもらえないかなと思った。そういったアイデアが積み重なって今回の依頼につながった感じです。

――橋本さんとしては、自分が言葉を書くこと、何かをクリエイトすることへの意志は前々から持っていたものだったんでしょうか。

橋本:歌いたいという気持ちが一番だったので、歌詞を書きたいとか、曲を作りたいとか、そういう欲求はほとんどなかったです。ただ、曲は作れないにしても、歌詞はいずれどこかでご縁があるような気がしていて。自分で書きたいというより、いつかどこかの出会いで機会が訪れるんじゃないかという予感はありました。自発的にものを生み出せる面白さを自分に見出せなかったので、誰かに求められることで自分の中から何かが生まれるんだろうなと思っていて。なので今回はまさに引き出していただいたというか、水野さんが私の力を信じて委ねてくださったので、「やらなきゃ」という気持ちもあったし、どこかで「やっときた、やっと書ける」みたいな気持ちもありました。

――最初にオファーを受けた時の印象は?

橋本:本当にすごく嬉しかったです。水野さんは番組で共演した時にも「書かないんですか?」とか「ぜひ一緒にやれたらいいですね」とおっしゃってくださって。社交辞令で言っていただけることもあるけど、水野さんの言葉に嘘を感じなかったというか、本気で思ってくれている気がして。遠くないうちに一緒にできる気がしていたら、思いのほか早くお話をいただきました。誠実な人だな、思っていることを行動して形にしている人なんだなと思えたのも嬉しかったです。自分を褒めてくださる言葉にも嘘はなくて、だからこそ自信になるというか。小さな自信が積み重なっていって、こうやって堂々と作品を発表できる。それは本当に水野さんに力をいただいたからだと思います。

――曲を作り始めたきっかけはどんな感じだったんですか?

水野:この曲の作り方は特殊で。まず自分が清志まれとして書いている『おもいでがまっている』(文藝春秋より今春刊行予定)という小説があるんですね。ただ、本来は書き上がった作品をお渡しして、そこから歌詞を書いていただくはずだったんですけれど、小説が書き上がってない状態だったので、まずプロットを読んでいただいて。それから、自分が小説を書くにあたってヒントにした哲学者の鷲田清一さんの『「待つ」ということ』という本を参考文献としてお渡しして。そこからお会いして「どんな音楽が好きなんですか」とか「どういう風に書いていきましょうか」と話し合うところからスタートしました。

――かなり特殊な作り方だったんですね。

水野:特殊ですね。他の方にそんな頼み方をしたことはないです。たとえば僕が先にメロディを作って「これに歌詞をつけてください」とか、そういう方がコラボレーションのとっかかりとしては分かりやすいと思うんですけど。今回はそうではなく「お題となる小説があります、でもその小説はまだ書き上がっていません。プロットです」っていう、冷静に考えたらなかなかヒドいやり方でした(笑)。ただ、口説き文句としては、創作が行われている渦中に入ってきてもらって、その過程から一緒に楽しんでいただきたいと伝えて。橋本さんもそこを面白がってくださって、書いてくださった感じです。

――橋本さんとしては小説のプロットと参考文献を渡されて、まずどんなことを思いましたか?

橋本:単純に、何の材料もないまっさらな状態で書いてください、というよりははるかに気が楽でした。小説と参考文献という2つの強固な土台があったからこそ、肩の力を抜いて取り組めたというか、安心して書けたと思います。

水野:そこから歌詞を書いていただいて。今回は詞先だったんです。

――詞先ということは、メロディやリズムや曲の雰囲気にあわせて言葉を選ぶのではなく、まっさらなところから歌詞を書き始めたわけですよね。橋本さんはどのように取り掛かったのでしょうか?

橋本:まずはプロットを読ませていただいた後に『「待つ」ということ』を読んで、自分とリンクする、気になった言葉をピックアップして書き出していきました。歌詞を作るにあたっては、ひとまず物語に入って。まずはこの子の視点でどんな言葉が出てくるかな、次はこの人の視点で、と最初は物語の登場人物の心に寄り添って書いていきました。そこからどこかに私自身の言葉をちゃんとプラスしたいと思って。『「待つ」ということ』で気になった言葉を「なんで私はこの言葉が気になったんだろう?」と掘り下げていきながら、この心情の時にこの言葉がすごく合うなと考えたり、いろんなものをミックスさせながら作っていった感じです。

――なるほど。この曲の歌詞は非常に物語的だし、複数の一人称もあり、情景描写も巧みで、いろんな視点から心情が描かれているすごくテクニカルな表現だと思ったんですが、まさにそういう書き方だったんですね。

橋本:そうですね。

――水野さんは橋本さんの歌詞を見てどう感じましたか?

水野:第一稿が送られてきて、スマホでパッと眺めた瞬間に「やっぱ書けるじゃん!」って思ったのを覚えてますね。そこからちゃんと歌詞を読んだんですけど、メロディに落とし込んでみないと意図がわからない部分もある。詞先の場合はいつもそうなんです。歌を作っているうちに深く理解することが多いので。で、最初はシーンがいくつもあって、もっと長かったんですよ。でも、デモを橋本さんにお送りしたら「ここはいらないですね」とか「このメロディでこの表現だったら、もうちょっとすっきりした言い方があるかもしれない」とか、どんどん自分で削ぎ落としていく。1カ月半か2カ月くらいの間ですけど、作詞家として凄みが増していくのを感じました。初めてだから謙遜されている部分もあったけど、やっていくうちに「この人は作品が見えてるな」とすごく思いました。

――橋本さんが歌詞を書いていく中でキーワードになった言葉や大事なフレーズは?

橋本:「めぐりゆくように」というのが水野さんとのやり取りの中でキーになっていたと思います。この曲で私が一番大事にしていたのが今に立ち戻ること、今を取り戻すことで。今に集中して生きることでいろんな悩みがなくなったりするという自分の実体験をもとに、“今に帰ってくる”ということを書けたらいいなと思っていて。季節は必ず回るし、輪廻もそうですし、人生って誕生から死まで直線のように見えるけど、実は円なんだ、と。その円環が見えるような曲になったらいいなと思って。「めぐりゆくように」という言葉が水野さんとの共通認識として、ずっと支柱としてあったような気持ちです。

水野:常に時間のことがテーマになっていたところがあって。お渡ししたプロットには、帰ってこない人をずっと待ち続けてる人と、待ってた人が帰ってこなかったという事実にずっと縛られている人が出てくるんです。つまり「帰ってきてほしい」と未来ばかり見て今を見ていない人と、「帰ってこなかった」という過去に縛られて、裏切られたと思い続けて今を生きられない人が出てくる。どっちも自分の時間を生きていないというところを物語にしようとしてたんです。その辺りを話し合う中で、タイトルも「ただ いま」になった。今という時間をどう生きるか、今というものにどう集中するかと、季節の巡り合わせ、時間は回って戻ってくるということ、そしてそこにリンクする言葉たちが残っていきました。

――この曲の作曲クレジットは水野良樹ではなく「清志まれ」となっていますよね。小説家としてのデビュー作『幸せのままで、死んでくれ』とその楽曲に続く2曲目ですが、もうひとつの名義で表現するようになって、どういう変化が生まれたと考えていますか?

水野:水野良樹は芸名でなく本名なので、僕は生まれたときから水野良樹として生きてるんです。去年40歳になったんですけど、そこには40年間の物語が入ってる。それはもう拭えないし、自分が生きてきた人生なので拭う気持ちもない。でも、「清志まれ」という虚構の存在になることで、どこまで自分でどこまで他者かわからないような存在になる。それがものを作る上ではすごく大事で、それをやりたかったのかなって最近はすごく思います。HIROBAでやってることもそうだし、今回橋本さんがいろんな視点を歌詞の中に入れたというのも不思議な話で。いろんな視点が入ってるんだけど、橋本さんの一人の声としても聴ける。他の人間との境目が曖昧になってる感じが実は創作物の面白さじゃないかなと思って。「清志まれ」という名前が意味を持ってきたり、自分の個人名でソロプロジェクトをやるのではなくて、HIROBAという場を作ることによって自分の輪郭を曖昧にしたいっていう気持ちがあるんだろうなと改めて思います。

――橋本さんは小説家としての清志まれの作品や作風を見て、どう感じましたか?

橋本:抽象的なイメージですけど、最初は「ものすごく泥臭いな」と思ったんです。すごく土の匂いがするなというか。外に開いているというより、内に内にズブズブと沈んでいくような感じというか。小説やプロットを読んだり、番組で共演させていただいた時の水野さんの表現に触れても、一貫してそのイメージはありましたね。じくじくとした痛み、鋭さというよりは鈍さがあって。でも、今回の『おもいでがまっている』という作品のプロットは、爽やかな春の風が吹くような読後感があったんですよ。自分の中に春の匂いが満ちるのを感じた。開放感みたいな、外に開いてやっと息が深く吸える瞬間がこの曲に閉じ込められたらいいなと思いました。

水野:いきものがかりとか、水野良樹という名前で楽曲提供させていただく時は、幸せなことではあるんですけど、ひとつの型みたいなものになっているところがあって。水野良樹という固有名詞を外したり、小説みたいな違う表現になっていくと、そこで見えてない部分が出てくるのかもしれないですね。

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