藤井風『LOVE ALL SERVE ALL』に見る、“言葉の人”としての姿 ソングライティングのセンスが根をはった一作に
以上はもっぱらサウンド面の話だが、やはりなによりもボーカリストとしての凄みを感じ、また同じくらい言葉の人としての藤井の姿も印象的な本作。以前、藤井風の歌詞について『HEHN』を中心に細かく評したことがある(※1)が、そのときの印象から変わることはない。方言やスラングを駆使しながら、同音異義語や押韻、そして巧みな譜割りによって詞のニュアンスを豊かにしていく手腕は『LASA』でも光っている。
たとえば「damn」では〈だんだん〉という日本語のフレーズが〈damn damn〉という英語のフレーズに重ねられる。ある意味日本語話者だからこそ成立する(n音とm音を厳密に区別せず「ん」とするため)言葉遊びだけれども、ゆっくりとした、しかしじわじわと訪れる不可逆的な変化に困惑する語り手が、〈don’t give a damn(知ったことじゃない)〉と困惑を振り切る転換点として機能しているのが面白い。言語のスイッチが気持ちの整理、切断にも通じている。
「ガーデン」のサビも、〈花は咲いては枯れ〉と〈人は出会い別れ〉というふたつの行が〈は枯れ〉と〈別れ〉でつながる、シンプルな言葉遊びがよく効いている。同じメロディの上に言葉がのることで話し言葉としてのイントネーションがいったん保留になるからこそ、その類似関係が強調する。ふたつの表現が押韻によってつながるばかりではなく、メロディの合同も重要な役割を担っている。と考えると、これは押韻のおもしろさであると同時にメロディの力の面白さでもある。
ボーカリストとしての藤井風は徹頭徹尾メロディックな人で、もちろんそのリズムの表現にも傾聴すべき点は多いが、言葉とメロディのときに対立的な関係をうまく止揚して表現をつむぎだす技量が卓越しているように思う。押韻というよりも地口じみた言葉遊びや、冗談半分のような言葉の選び方が陳腐化しないそのバランス。アクが強いようで案外間口が広く、渋いようで華やかな『LASA』の根底には、藤井のそうしたソングライティングのセンスがしっかり根をはっている。
※1:https://realsound.jp/2020/12/post-665871.html