the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第4回

the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第4回 新たな衝撃をもたらした“ジャパニーズ・ヒップホップとの出会い”

日本語ラップへの違和感を拭い去った「東京地下道」のバース

 話は少し逸れるが、上述した“聴感上の違和感”というのは、英語のラップと比べたときの“日本語の響きの違和感”と言い換えても良い。当時の日本語ラップは「歌詞が日本語」という一点を理由に、一般の音楽リスナーはおろか、日本人ヒップホップリスナーからも敬遠される、という客観的に見れば不思議かつ不遇な一面を持っていた。

 いわゆる“本場のラップ”は、当たり前だけど多くの米国人の母国語である英語だったからだ。僕の周りの、ダンスやファッションを通じて普段から洋ヒップホップを聴いている連中でも、「歌詞の意味がはっきりわかりすぎて気恥ずかしい」「韻が駄洒落みたいで寒い」「英語の方がオシャレじゃん」といった理由で距離を取る者が少なくなかったし、当初は僕もその中の一人だった。それは、EDWINよりもLEVI'Sの方が何となくオシャレなイメージ、みたいな話と似ている。アイデンティティ迷子の十代にとって、そうした“イメージ”は重要だったのだと思う。

 さらに、時代的にもまだ「欧米の音楽こそが本物」といった洋楽至上主義 a.k.a. 本場志向の名を借りた権威主義、とも言えるスノッブな価値観を持った批評家や音楽ファン(アーティスト自身でさえも)が多く、そんな視点が透けて見える論調の記事やレビューからの影響も大きかったのかもしれない。

 そんな偏見の色眼鏡を取っ払うきっかけが、僕の場合は「東京地下道」のRINOのバースだったということだ。おそらくこの頃のラッパーたちは、相当英語のラップの構造を研究したのだと思う。そこから生まれた、発語の響きや韻律が生むリズム、フロウを重視した日本語ラップ。

 直接的なメッセージや物語性を薄めることで音的な快感を優先し、バックトラックのムードと溶け合う抽象的な言葉選びで、意味性の大半を聴き手の想像力に委ねつつも、ライミングに関しては異常にストイック。新しい現代口語詩の発明、と言っても過言ではないと個人的には思っている。

「東京地下道」

 「東京地下道」が収録されているMICROPHONE PAGERのアルバム『DON'T TURN OFF YOUR LIGHT』(1995年)を振り返って聴いてみれば、当時のNYヒップホップシーンへの憧憬を凝縮してロマンティックに戯画化したような、「ニューヨーク以上にニューヨーク」な世界観が詰まっていて、インターネットの普及していない、情報が少なかった時代ゆえの熱を今でも感じることができる。

 実際にそのリリースがあった1995年辺りから、日本のヒップホップは爆発的にその支持者を増やしていく。MICROPHONE PAGER、RHYMESTER、キングギドラ、BUDDHA BRAND、SHAKKAZOMBIE、YOU THE ROCK☆、ECD、SOUL SCREAM、LAMP EYE……のちにイベント『さんピンCAMP』に集合するようなメンツが次々にリリースする音源は、それぞれに個性の輝きを放ちつつも、全体としてそれまでの日本語ラップとは一段レベルの違うものだった。

 そして、そんな作品たちに触れることによって、僕のように偏見の色眼鏡を吹き飛ばされた若者が全国に大勢いたのだった。 

 ……やべーまたバンドの話を全然してねー。

 日本のヒップホップに関して他のメンバーは、移動の車で流れていれば聴くけど別に自分で買ったりはしない、くらいの感じだったと思う。貸したカセットに入れた、BY PHAR THE DOPEST「ある意味規則的な生活の中の贅沢」を聴いて、あの曲いいじゃん、と荒井岳史が言ってきたのは覚えている。

 そして懲りずに次回も、私的ジャパニーズ・ヒップホップ思い出譚が続く予定です。

連載バックナンバー

第3回:高校時代、原昌和の部屋から広がった“創作のイマジネーション”
第2回:海外生活でのカルチャーショックと“A Tribe Called Questの衝撃”
第1回:中高時代、メンバーの強烈な第一印象を振り返る

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木暮ドーナツ Twitter(@eiichi_kogrey)

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