くるり×野球&電車、奥田民生×クルマ、DISH//×サウナ……アーティストたちが生み出す“偏愛ソング”を考察
くるりと野球だったり、DISH//とサウナだったり、といったような、何かに対するアーティストの「偏愛」が楽曲になった例について、あるいは「アーティストが何かに対する『偏愛』を楽曲にすること」自体について、考察するテキストを書いてほしい。
という依頼のメールが、このリアルサウンドの編集部から届いた。
くるりとDISH//以外にも、奥田民生の一連のクルマ関係の曲や、打首獄門同好会の「日本の米は世界一」など食べ物をネタにした曲の例も、メールの文中に並べられている。
ああ、そうか、くるりのニューアルバム『天才の愛』(4月28日リリース)に入っていて、その強烈なインパクトで話題になった「野球」から、思いついたネタか。と、まず思った。
あと、くるりには、古くは「赤い電車」、最新作では「コトコトことでん」などの、電車にまつわる曲もある。そのあたりにも触れていただければ……とも、そのメールには書かれている。
そうねえ、うん、まあ、何か書けそうではあるけどなあ……と、考えているうちに、これ、なかなか、考察しがいのあるテーマなのでは、という気がしてきた。なので、自分の考えを整理しながら、書いていくことにする。
まず最初に。そのような、言わば「偏愛もの」の楽曲の中で、奥田民生のクルマ曲と、打首獄門同好会の食べ物曲は、同じ動機から書かれている。と、僕は位置づけている。
どんな動機か。「特に書くことがない」という動機だ。
奥田民生は「自分の思いを詞で表現したい」みたいなところから、始まったアーティストではない。
ギターを弾きたい→曲も作って歌うようになる→あ、じゃあ歌詞も書かなきゃいけないのか→ええと、ロックの歌詞ってこういう感じかしら(というのがユニコーンの初期)→これだとなんかサムいな、でも特に歌詞で主張したいこともない、じゃあそれでも書けるサムくないものを探そう(というのがユニコーンの3rdアルバム『服部』以降)
ーーという風に進化を遂げて、現在のスタイルを確立した人である。その過程において、彼の趣味の中で、もっとも歌の題材にしてやすかったのが、クルマだった。ということではないだろうか。
同じく趣味である、釣りに関する歌は、井上陽水と共作した「手引きのようなもの」ぐらいしかない。もうひとつの趣味、ゴルフに関する曲は……思い出せない。確か『Fantastic OT9』の時のテレビCMで、ゴルフボールがホールインワンするグラフィックを使ってたよな、ということぐらいしか、頭に浮かばない。
が、クルマに関しては、いっぱいある。ユニコーンの「ターボ意味無し」、ソロの1stアルバムに収録された「ルート2」、PUFFYに書いた「サーキットの娘」などなど。そんなクルマ関係の曲だけ集めた『CAR SONGS OF THE YEARS』という編集盤が、2001年の段階で、出ているぐらいだ。
で、打首獄門同好会。これまであちこちのインタビューで本人が明らかにしてきたように、会長こと大沢敦史は、もともとギタリストであり、打首を結成した25歳の時に、ボーカルがいないのでやむを得ず、初めて歌った、という人である。それまで、リスナーとしても、歌詞を気にして音楽を聴いたことがなかった、だからどんな歌詞を書けばいいのかわからない、でもなんとなくそれっぽいことを書くのも、英語に逃げるのもサムい、ならば……というので、自分が本当に思っていることで、歌にできそうなものを片っ端から書いてみて、ライブでウケがよかった曲を残していった結果、今のようなスタイルに辿り着いたという。
なので、食べ物の曲も、食べ物以外の曲も、書いている動機としては変わらないが、「日本の米は世界一」以外にも、「私を二郎に連れてって」「きのこたけのこ戦争」「ニンニクは正義」などなど、食べ物関係の名曲が多いのは、奥田民生のクルマと同様、彼にとって歌にしやすいジャンルがそこだった、ということなのだろう。