連載「日本(語)のうたを考える」 第2回:阿久悠、なかにし礼らの時代に“問題化”した七五調

連載「日本(語)のうたを考える」

第1回:「NiziU、Moment Joonらに見る“日本(語)で歌う”意義と質の変化」

『作詞入門』
『作詞入門』

 かつて阿久悠は自ら「阿久悠作詞家憲法15条」を掲げ、そのなかで「七・五調の他にも、音楽的快感を感じさせる言葉があるのではなかろうか。」と書いた。阿久はまた『作詞入門』(岩波現代文庫、2009年。原著は1972年刊行)のなかでこのように語ってもいる。いわく、「まず、ぼくらの世代の作詞家の最初のテーマは、七・五の壁をいかにして破るかということであったといっていいだろう」(『作詞入門』、p.32)。どちらも阿久悠が歌謡曲界で大きな存在感を放ち始めた1970年代初頭に書かれたものだ。

 「ぼくらの世代」というと、おおよそ1960年代の後半から活動しだした非専属のフリーランス作家たちと思っていいだろう。日本のレコード産業においては、実演家も作家(作詞家、作曲家など)もレコード会社と専属契約を結ぶことが一般的だった。しかし、1960年代に入ると、レコード会社と契約を結ばずフリーランスとして新規に参入したり、あるいはレコード会社専属から独立する作家が増えだしたのだ。

 たとえば、年齢としては阿久のひとつ下であり、シャンソンの訳詞を多く手掛けたのち作詞家として旺盛に活動したなかにし礼は、2011年に出版した著作でこんなことを言っている。

「歌詩を書きはじめたころ、心に決めたことがある。それは「敷島[ルビ:しきしま]の道を象徴する七五調のリズムでは歌を書くまい」ということ」(なかにし礼『歌謡曲から「昭和」を読む』、NHK出版新書、2011年、p.34)。

 両者とも、問題になっているのが抽象化されたリズムとしての七五調ではなくて、むしろ七五調という音数律に長い歴史のなかで託されてきたもの(つまり「敷島の道」)である、という点で共通している。

 もうちょっと具体的に言えば、阿久は『阿久悠の実践的作詞講座(上)』(スポーツニッポン新聞社出版局、1975年)で詞における省略の技法についてこんなふうに述べている。阿久は先行世代の作家から「省略の妙が足りない」と指摘されて、こう反駁する。

 省略ということは、その部分を誰かが埋め合わせるということである。確実に埋め合わせてくれるという期待のもとに省略するのである。但し、全く異質の者をはめこまれて解釈されても困る。では、省略した側とそれにはめこんで解釈する側との連絡は何かというと、それは、永年の詩歌音曲または言葉遊びの中で習慣づけられた約束事である。つまりは、キーワードである。
 七五調という日本語の韻を基調にした枕言葉[ママ]とか、掛け言葉受け言葉[こちらもママ]というのが、そのキーワードになっていたのである。
[中略]
 これらの一種快さというのはある。しかし、快さだけでは伝えられなくなって来ていると思うのである。同じ快さであっても、もっと多岐多様にわたって来ていると思うのである。
 いいかえれば、俳句や都々逸や川柳の感性だけで詞を理解するとは限らなくなって来ているのである。(『阿久悠の実践的作詞講座(上)』、pp.127-128)

 七五調とは単に数に支配されたリズムであるばかりではなく、ある解釈の枠組みでもある。何気なく発された言葉であっても、七五調に回収されてしまえば自ずとそれは「何気ない言葉」の地からひとつの図のように浮かび上がってしまう。そうした七五調の力とどのように付き合うか、というのが問題ということになる。

 意図的に距離を置く道もあればむしろそれを活用する道もある、というわけで、なかにしは前の引用箇所のあとで西條八十の詩作と作詞の差異について述べていて、「西條八十は、純粋詩のときは、「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?」というように自由律で書いたが、作詩になると決まって七五調だった。日本人の情緒的連帯意識のシステムというものを熟知していたから、西條は書き分けた。日本の歌謡曲なら、こっちだろうと七五調の引き出しを開けたわけである。」(『歌謡曲から「昭和」を読む』、pp.34-35)という。

 この指摘はたとえば萩原朔太郎の詩論における韻律の扱いと並べると興味深い。萩原朔太郎は1928年の『詩の原理』(注1)のなかで韻文概念の日本語における困難を論じるうち、韻文の起源を文学と音楽が未分化だった原初の段階に設定して、「詩が既に音楽から独立し、純然たる文学となった今日、尚かつ原始の発生形式たる、韻律の機械則を守る必要はない」と言い切る。さらに、音楽と結びついた文学(あるいは文学と結びついた音楽)における韻文の伝統を指摘したうえで、「畢竟するに平家や謡曲等の詩文は、琵琶その他の音曲によって歌謡される、文字通りの「謡いもの」であって、独立した文学としては、韻文価値のないものである」と書く。厳密に言えば平曲は日本の伝統音楽における分類では語り物とされるが、音楽のなかでの分類はさておいて、とにかく音楽と一体であるもの、ということだろう。(注2)

 萩原の見方では、音数律による韻文は、それが音楽的リズムと結び付けられる限りにおいて「独立した文学としては」価値がない。(注3)他方、なかにしの述懐からは、大衆と深く関わらざるをえない領域において七五調が活用されてきたことと、それに対する懐疑が伺える。

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