秋山黄色と『約束のネバーランド』に通じ合うもの Season 2オープニング曲「アイデンティティ」での強力なマリアージュ

秋山黄色と『約ネバ』に通じ合うもの

 1月7日からフジテレビ「ノイタミナ」枠で放送がスタートしたTVアニメ『約束のネバーランド』Season 2。2019年に放送された前シーズンで孤児院=「ハウス」から「脱獄」した子どもたちの運命と冒険が描かれるこの作品のオープニング曲となっているのが、秋山黄色の「アイデンティティ」だ。彼にとって初めてのTVアニメタイアップ。もともと作品のファンだったそうで、今回の楽曲提供に際しては「この作品は色も匂いも在り方も、確かに僕自身の一部になっている気がします」というコメントを寄せているが、確かにこの「アイデンティティ」という楽曲、もっと言えば秋山黄色が一貫して音楽で描き続けているものには、『約束のネバーランド』という作品と通じ合うものがあるような気がする。

TVアニメ「約束のネバーランド」Season2 ノンクレジットオープニング

 『約束のネバーランド』、略して『約ネバ』は原作・白井カイウと作画・出水ぽすかによって『週刊少年ジャンプ』で2016年から4年にわたって連載されたマンガ作品だ。“ジャンプらしくない”世界観と雰囲気を帯びた作風ながら、その緻密なストーリー展開と仕掛けられたサスペンスの魅力によってまたたく間に注目を集め、『このマンガがすごい!2018』オトコ編1位をはじめ、数々の賞を受賞した。

 内容を簡単に説明すると、「鬼」と呼ばれる生命体の食糧となる人間が「飼育」されている「農園」(表向きは孤児院とされている)で育てられた主人公のエマとノーマンをはじめとする子どもたちが、その過酷な運命を断ち切ってその外へと脱出しようとする物語だ。ダークファンタジーなムードやSF的な設定がユニークでおもしろいのはもちろんだが、何より子どもたちが未知の世界で自分たちの力で未来を切り開いていこうとする姿が感動的だ。主人公が戦いを通して仲間と絆を育み成長していくジャンプ的なビルドゥングスロマンの要素もあるものの、それよりも弱者である子どもたちが「鬼」という圧倒的な敵と得体の知れない世界を前に翻弄されさまよい、もがきながら生きようとするところにこそ、『約ネバ』のエモーションはある。メインのテーマが「戦って強くなること」や「大人になること」ではなくて「子どものまま過酷な世界を生き抜くこと」なのである。

 それってすごく秋山黄色っぽいよね、と思うのだ。昨年のメジャーデビューと前後して急激にタイアップを含むメディアへの露出が増え、当初あった「ネット発の新世代アーティスト」みたいな紋切り型を自ら振り切るように多彩な活動を展開している彼だが、その音楽の根本は少しも変わっていない。その根本というのは何かといえば、ひとつには馬鹿正直と言えるほどのある種の無邪気さであり、もうひとつは絶望や失望がデフォルトになった生活が舞台になっていることだ。

 ほとんど独り言の愚痴でしかない「やさぐれカイドー」や地元の居心地の悪さを〈何にもない町の底〉と描いた「猿上がりシティーポップ」は思い切り具体的だが、たとえば〈酷い子にも旅をさせて/ちょっとの事で笑いたいよ〉と歌う「Drown in Twinkle」にしろ、典型的な意味で“大人”になることに対して怒りにも似た感情をぶちまける「ガッデム」にしろ、秋山黄色の楽曲には地元栃木でフリーター(あるいはニート)として生きていた彼自身の日々とそこで生まれた感情だけが、飾ることもデフォルメされることもなくシンプルな言葉で綴られている。そこでは決まりきった人生観と乾いて閉塞した空気こそが“普通”であり、その普通のなかでヘドが出るほどの違和感を感じ続けながらも、そこから見えるものだけを音楽に刻み続ける、それが秋山黄色というアーティストである(少なくとも今までのところは)。その感覚というのは文字通り“普通”に日本全国あまねく存在しているもので、だからこそ彼の音楽は多くの人に刺さったのだ。ネットがどうとか、関係ないのである。彼の音楽が、もちろん個性はありながらもロックな曲は思いっきりロックに、バラードは思いっきり美しくアレンジされているのも、一見ひねくれて見える彼の表現が、彼にとってはどこまでも“正攻法”であることを示しているように思う。

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