村井邦彦×川添象郎「メイキング・オブ・モンパルナス1934」対談

村井邦彦×川添象郎、特別対談

原智恵子と川添梶子、2人の母について

キャンティ西麻布店での会食の模様。左から、村井邦彦、川添象郎

村井:ところで象ちゃんの2人のお母さんについても少し聞いておきたいな。実のお母さんは有名なピアニストの原智恵子さんだけど、象ちゃんはピアノを習わなかったの?

川添:実母は俺にピアノを弾かせたかったんだけど、本人が教えるのは面倒だったのか、弟子に教えさせたんだよ。ある日、何の気まぐれか、母がピアノを弾いてみなさいって言うんだ。俺が弾き始めると「テンポが違う」と言って弾き直させ、もう一度弾くと「また違っている」と手をたたくわけ。俺は家を飛び出しちゃってね。それっきりピアノはやめたんだ。バイオリンもやらされたけど、よく先生と一緒にパチンコ屋に行ったなあ(笑)。自分で自主的に始めたのはウクレレで、次がギターだったわけ。

村井:なるほどね。川添浩史さんの再婚相手のタンタン(梶子)についてはどうですか。キャンティの常連の多くはタンタンにあこがれていたし、僕にとっては美の女神のような存在だったな。絵画、彫刻、建築、洋服、その他のすべてにおいて、これは美しい、あれは醜いとズバリ言ってくれるんだよね。僕はかなり長くタンタンと一緒にいて、その選択を逐一聞いていたから、それが僕の美意識を形成したと思っているんだ。

川添:タンタンは彫刻の勉強をするためローマに行ってエミリオ・グレコの弟子になったわけだけど、グレコは梶子に対して師匠と弟子という関係を超えた感情を持っていたようだね。でもタンタンは同じアトリエの若いイタリア人と結婚するんだ。

村井:うまく行かなかったんだよね。

川添:うん。イタリア男が豹変して極端な亭主関白になったみたいで、タンタンは幼い娘を夫のもとに置いたまま逃げ出してきたんだ。今流にいえばDVなのかな。それでローマの日本大使館だか日本領事館だかにかくまわれていた時、川添浩史と出会ったわけ。

村井:川添さんはアヅマカブキのヨーロッパツアーの一環でローマを訪れたんだよね?

川添:そうそう。タンタンはイタリア語、英語、フランス語を流暢に話すから、親父は彼女をアヅマカブキの舞台に上げてナレーションを担当させたわけ。

村井:梶子さんは恋多き女性ではあったけれど、結局は浩史さんにぞっこんだったと僕は思っているんだけど。

川添:うん、そうだね。親父が亡くなった後、みんなで「タンタンは再婚すればいい」と無責任な提案をしていたんだけど「シロー・パパよりいい男を連れてきてくれたら考える」と笑って相手にしなかったものね。

村井:浩史さんの本名は紫郎で「シロー」と呼ぶ人もいたんだよね。「モンパルナス1934」は川添さん、つまり「シロー」という名の青年が主人公になるんだけど、最初のプロローグはタンタンに焦点を合わせて書くことになりそうだよ。

川添:1934年よりずっと後の時代、主人公の死後から始めるってことだね。

村井:そうそう。川添さんが亡くなったのが1970年で、タンタンの落ち込み方は激しかった。だから僕は少しでも気晴らしになればと思って、カンヌに連れていったんだよ。その場面から始めようと共著者の吉田俊宏さんと話しているんだ。

川添:そいつは楽しみだな。

村井:ありがとう。象ちゃん、今日はこのくらいにしておきましょう。またこういう対談をお願いしますよ。

川添:もちろん。キャパの弟のコーネル・キャパとか、女優のシャーリー・マクレーンの話とか、まだまだ話していないことがたくさんあるからね。

モンパルナス1934 キャンティ前史

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