振付から紐解くJ-POPの現在地 第9回:カミヤサキ
元GANG PARADE カミヤサキ、「アイドル」から「振付師」へ 新しい道を歩み始める“覚悟”を語る
J-POPシーンの最前線で活躍する振付師にスポットを当て、そのルーツや振付の矜持をインタビューで紐解いていく連載「振付から紐解くJ-POPの現在地」。第9回となる今回は、5月22日に自身が発起人であるGANG PARADEからの脱退、そして6月上旬にWACKからの独立を発表し、フリーランスの振付師の道を進み始めたカミヤサキ。アイドルとしての7年間の活動の中で「振付師になりたい」と思った転換点、そして“ゼロからのスタート”に立つ今の心境と覚悟を聞いた。(編集部)【インタビュー最後にプレゼント情報あり】
■連載「振付から紐解くJ-POPの現在地」インデックス
第1回:s**tkingz
第2回:TAKAHIRO 前編/後編
第3回:辻本知彦
第4回:YOSHIE
第5回:リア・キム
第6回:akane
第7回:竹中夏海 前編/後編
第8回:CRE8BOY 前編/後編
「振付をコピーして踊ることがすごく好きになっていった」
ーーカミヤさんが振付師の道を進むため、GANG PARADE脱退だけでなくWACKを離れたことは大きな決断だったと思います。
カミヤサキ(以下、カミヤ):そうですね。自分が作ったGANG PARADEを抜けると決めた時に、社長(渡辺淳之介氏)からも「自分のグループを途中で投げ出すお前とは一緒に仕事がしたくない」と言われてハッとしたのですが(参照:STORYWRITER)、今後も一緒に仕事をさせてもらえるという考えは、自分としても違うと思いました。自分の今の年齢も考えて、あのままWACKに居続けてしまうと多分甘えてしまう気がしたし、自分が作ってきたGANG PARADEを脱退すると決断したのだから、お世話になったWACKを離れて、これから時間がかかるとしても、ゼロからのスタートで大変な思いをするとしても、成長したと思ってもらえる段階でまた(WACKと)一緒にお仕事ができる未来が一番理想だと思っています。
ーー1月3日にGANG PARADEの脱退を発表してから5カ月間、WACKで回るツアーや、GANG PARADEのホールツアーがコロナ禍の影響によりできなくなってしまい、カミヤさんのラストライブ開催も叶っていない状況ですが、発表後から現在までどのような思いで過ごしていましたか。
カミヤ:ファンの皆さんには本当に申し訳ないですし、当初は「来月はきっとできるだろう」と思っていましたが、だんだん「そうもいかないぞ」と。会いに行く予定だった地方の方たちには会えなくなってしまったので、とても残念でした。
ーーそんな中、5月22日に予定されていたカミヤさんの脱退ライブ開催を目指すクラウドファンディングは10日間で2000万円以上集まりました。そのスピード感と反響の大きさに驚きましたが、自身ではどう受け止めましたか。
カミヤ:本当にびっくりしましたね。このご時世もあるし、簡単ではない額だったので、正直難しいと思っていましたが、ファンの方たちが呼びかけてくれていろんな方に声が届いていたし、WACKの子たちが発信してくれたりもして、たくさんの方の力を借りて達成できたものだと思うので、本当の意味で「みんなで作るライブ」ができると思うと、いろんな思いを懸けてしっかり準備していきたいですね。
ーーでは、改めて今回は振付師・カミヤサキとしてのインタビューになるので、カミヤさんのダンスのルーツから聞かせてください。
カミヤ:一番最初は、小さい時にお母さんに連れられて、ミュージカルの音楽などに合わせて踊るリトミングのようなものを習うスクールに行ったんです。だけどまだ幼くてダンスに興味があったわけではないので、自分の意思でダンスが楽しいと思ったのは、ボーカロイドが流行り始めた時に初音ミクの「踊ってみた」のようなニコニコ動画が有名でしたが、自分も「このダンスをコピーしてみたい」と思ったのがきっかけだった気がします。
ーー中学生や高校生ぐらいでしょうか。
カミヤ:そうですね。あとは、当時テレビ番組『ココリコミラクルタイプ』で、キャラクターの“ゴリエ”が踊っていたダンスを中学校の応援団でコピーしたんです。そのぐらいから、振付をコピーして踊ることがすごく好きになっていって、テレビやボーカロイドのダンスを真似して踊っていました。
ーー学生の頃はサッカーなどのスポーツもされていたんですよね。
カミヤ:サッカーや水泳をしていました。だけど、高校生の頃はヒップホップなどを踊っていたダンス部の女の子に内心では憧れていました。楽曲や衣装、振付も自分で決めて、文化祭や新入生歓迎会で踊っているのを見て、面白そうだなと思っていたんですが、いわゆるスクールカースト上位の子が入るものだと思っていたので、自分は違うかもと思って、入りませんでした。
ーー歌や楽器はどうでしたか?
カミヤ:軽音楽部に入って、ボーカルやキーボードを演奏していました。
ーーももいろクローバーZや私立恵比寿中学が好きだったそうですが、自分がアイドルになりたいと思ったきっかけはありましたか。
カミヤ:ももいろクローバーZさんの振りコピユニットをやっていて、アイドルを好きになってからそれまでよりダンスへの興味や、踊ってみたいという気持ちが強くなりました。私は当時から割と派手な見た目で、いわゆるアイドル像とはかけ離れたイメージだったので、周りには「こういうことがしたい」とは正直に言えなかったんですよね。でも、いざ振りコピをしてみると、ステージに立つことや踊ることがすごく楽しくて、自分の中でも歌って踊りたいという気持ちが大きくなっていきました。
その時がちょうど就職活動のタイミングとも重なったので、ラストチャンスというわけではないけど、就活に集中するためにも一度ダメ元で挑戦してみようと思って、BiSのオーディションを受けました。
「人数が多い中で、どう一体感があるグループに見せるか」
ーーご自身を「アイドル像とはかけ離れたイメージだった」と話していましたが、BiSというグループもまた、それまでとは全然違うアイドル像を提示したグループだと思います。
カミヤ:加入する前に、BiSの赤坂BLITZ(マイナビBLITZ赤坂)でのワンマンライブを見て、振付にすごく驚きました。今まで自分が好きだったアイドルのダンスとは全く違って、衝撃を受けたことを今でも覚えています。なのでBiSは、ステージパフォーマンスにおいても当時から新しかったなと改めて思います。
ーーそうですね。カミヤさんはBiSの時から振付を担当されていましたよね? グループ内でカミヤさんが振付をするようになった最初の経緯は何でしたか。
カミヤ:旧BiS(第1期)の時も、加入後の「Fly」(2013年)あたりから振付を担当させていただいていましたが、当時はわからないことが多かったですね。BiSは、“自給自足アイドル”と言っていたぐらい、どんどん挑戦させてくれるグループだったので、振付をしたいと言った時に「じゃあ次の曲でやってみる?」と言ってもらえて。特に理由があったわけではなく、当時は「ダンスが好きだから振付もしてみたいな」ぐらいの気持ちだったと思います。
ーーやはり最初に見たBiSの振付に衝撃を受けたことが大きかったのでしょうか。
カミヤ:それも大きいけど、どういうキャラクター性をグループで発揮していけばいいのか悩んでいた時期だったので、自分はキャラよりもパフォーマンス面で引っ張っていきたいという気持ちが強くなったんだと思います。今振り返ったら「何考えてんだ」と思いますけどね。
ーーそこからカミヤさんはプラニメ、POPを経てGANG PARADEに所属します。GANG PARADEはカミヤさんが引っ張っていた部分も大きいように感じますが、ご自身で振り返ってGANG PARADEの活動がもたらした変化はありますか。
カミヤ:単純に、考える分量が増えたなと思います。旧BiSの時は他人任せな部分もあったし、それこそプー・ルイが作ってきてくれたグループだったから自分もそこにいることができた。その分いらない遠慮もしていたし、それが結果的に甘えて見えてしまっていたのかもしれません。だけどやっぱりGANG PARADEになってからは、全員がこのグループに入りたいと思って入ってきてくれた子たちだったから、いろんな子の人生を背負うという責任感と、グループをダメにしたくないという気持ちがすごく強かったです。様々なことに対する劣等感をパワーにして「ここで終わってたまるか」という思いで活動していましたね。振付に対する考え方も、自分がいいと思うものだけではなくて、歌っている子が歌に感情を込めることのできる動きになっているか、とか、俯瞰的に考えるようになっていったと思います。
ーーGANG PARADEの振付の際に意識していたポイントはありますか。
カミヤ:人数が多い中で、どう一体感があるグループに見せるかというのはいつも考えていました。GANG PARADEでは「技」と言っていましたが、表題曲に必ずその「技」を入れるようにしていて。たとえば全員で手をつないで間をすり抜けたり、円になって歌っている子の周りをグルグル回ったり、全員で作り上げていることが伝わる振りは絶対に入れるようにしていました。