いきものがかり、『WE DO』で切り拓いたさらなる“歌”の可能性ーーアルバム収録曲を分析
「体験したことだからリアリティがある、当事者だから扱う資格がある、切実さが違う——そんな、作品本体とは関係ないことに助けてもらわなければ評価されないんだとしたら、それは作品の敗北です」
最後のまとめに入る前に、芦沢央の小説『カインは言わなかった』からこの一節を引用したい。元々いきものがかりは自分たちの感情を曲のなかで曝すことはせず、音楽における記名性を意図的に排すことにより、時代や、聴き手の感情の器として機能するポップソングの在り方を追求してきたグループだ。
しかしこのアルバムに関してはそうではない。冒頭で触れたように、3人は今、新たな一歩を踏み出そうとしているタイミング。収録曲のほとんどは、そんな彼らの現状と重ね合わせることのできるものである。歌詞の中で頻出する“夢”というワードは、3人が路上ライブを始めたあの頃からずっと見つめ続けているもののことだろう。最終曲「季節」のアウトロにおける、終了したかと思いきやストリングスがフェードインし、別のメロディが始まるアレンジも象徴的だ。また、先ほど吉岡のボーカルが素晴らしい曲として紹介した「アイデンティティ」は、水野が、“吉岡が歌詞を自分の言葉として捉えられるように”と考えて制作した曲とのこと(参照)。グループの歩みを鑑みるとこのエピソードも革命的だ。総じて、『WE DO』は2016年の「ぼくらのゆめ」リリース時に、水野が“禁”と表現したそれの、もう一歩奥に踏み込んだような作品になっている(参照)。確かに、これまでの彼らにとって自分たち3人の顔を出すことは禁じ手だったのかもしれない。しかしその行為により、作品自体に新たな命を芽吹かせることができたのならば、それもまた作品の、そして作り手の勝利である。
吉岡、水野、山下の3人が普通に人生を歩むのでは出会えなかった人々と出会い、分かり合えないかもしれない人々のことを感動させることのできる“歌”の可能性にロマンを見出していたのが、これまでのいきものがかり。だとしたら、『WE DO』が示すのは、しなやかに変化しながらいちクリエイターとして冒険に乗り出していく、そうすることによって“歌”の可能性を切り拓いていくこれからのいきものがかり像なのではないだろうか。
今回はアルバム自体の話に留めたが、例えばプロモーション面においても、彼らはこれまでのやり方を変化させつつある。そのキャリアに安住することなく、挑み続けることを選んだ彼らの活動を興味を持って追っていきたい。
■蜂須賀ちなみ
1992年生まれ。横浜市出身。学生時代に「音楽と人」へ寄稿したことをきっかけに、フリーランスのライターとして活動を開始。「リアルサウンド」「ROCKIN’ON JAPAN」「Skream!」「SPICE」などで執筆中。