Cornelius、「サウナ好きすぎ」に内在する“ヒューマニズム” 『Mellow Waves』との共通点を考察

CORNELIUS「サウナ好きすぎ」

 そこで7月26日に配信リリースされた新曲「サウナ好きすぎ」を聴いてみると、なるほど、やはり同じく漉しても漉しても残るヒューマニズムを伝える曲であることに気づく。曲はイントロからしばらくほぼ同一コードで進行していき、展開自体も大きな抑揚がない。笛の音にさえ聞こえるエレクトロの細い音色は郷愁の色彩を伝えるも、到底これが「サウナに毎日行きすぎるくらい好き」といった歌詞の曲とは思えないほど一定の清涼感を醸し出す。だが、ボーカルに注目して聴いてみると、プツリプツリと途切れがちに呟かれる声は驚くほど近くに聞こえるし、実際にあまり声に加工した跡がうかがえない。それどころか、内在するスタイルを音声として抽象的に表出させた結果、存外、具体的な言葉や温かい声質のまま形になった、そんな曲のようにさえ思える。小山田圭吾を“シャイで粋な歌い手”と評してみたのも、そんな気はなかったのに、気がついたらとても人間味ある歌を歌ってしまっていた、そんな横顔が彼のボーカルから感じられるからだ。

Sauna Sukisugi

 そして、またしても〈水分補給する〉〈滴る汗〉など液体がキーワードになっていることにも気づく。形状をいかようにも変えられる液体。掴むことができない液体。だが、成人の体の約6割が水分でできているという事実が伝えるように、インヒアレントボーカルミュージックとしてのCorneliusもおそらくほとんどがそうした水分でできている。だから表出された声自体は熟していてまろやかだがどこかつかみどころがない、でも内面にはフォルムやスタイルがちゃんとある、ということではないだろうか。

■岡村詩野
音楽評論家。『ミュージック・マガジン』『朝日新聞』『VOGUE NIPPON』などで執筆中。東京と京都で『音楽ライター講座』の講師を担当している(東京は『オトトイの学校』にて。京都は手弁当で開催中)ほか、京都精華大学にて非常勤講師、α-STATION(FM京都)『Imaginary Line』(毎週日曜日21時~)のパーソナリティも担当している。

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