大友良英は『いだてん』後編の“日本の近代化”をどう表現した? 劇伴により変化した音楽観も語る

大友良英、劇伴により変化した音楽観

音楽アルバムとして成立するように作りたい 

ーー『いだてん』の話はこのくらいにして、『GEKIBAN 2』についてもお聞きします。

大友:『いだてん』のサウンドトラックもそうだしこれもそうだけど、実は選曲は全部Sachiko Mなんですよね。

ーーあ、そうなんですか。

大友:はい。『いだてん』もそうだけど、「音楽アルバムとして成立するように作りたい」ってのが彼女の方針で。『GEKIBAN』でいうと一作目のほうがたぶん、わりと知名度のある作品が多いと思うんですよね。だけど二作目のほうが個人的には思い入れがあるもにが多い。「鈴木先生」の3曲(「鈴木先生のテーマ」「日常のテーマ」「対立」)とか、3・11の、震災の日に録音してんだもん。ドラマの内容以前にもう忘れらんないですよね、これ。

ーー今回全27曲中11曲で大友さんが演奏に参加していない。ギターが入ってない曲は、そもそもギターが必要ない曲だったのかなと思うんですが、大友さんが演奏してないのに他のギタリストが弾いてる曲が5曲ある。すべて2000年までの曲です。

大友:90年代の多くの録音は、実はあんまりギター弾いてない。なぜかと言うと、作曲・プロデュースと、演奏を一緒にやるのが大変で、意識が両方に行かないかったからなんです。プロデュースと作曲に集中したいと思ってた。だから超低予算映画で他のギタリストが雇えないときだけです、ギターを弾いてたのは。あともうひとつ90年代は、自分はギタリストだってあんまり思ってなかったし、自分のギターそんなにいいとは思えなかった。ノイズはできたけど、メロディ弾いたりリズム刻むなんて、そんなの他の人がやったほうがいいと思ってて。内橋和久や今堀恒雄を呼んだほうがいいに決まってるし、アコースティックギターだったら笹子重治さんのほうがいいに決まってる。でも1999年にデート・コース・ペンタゴン(・ロイヤル・ガーデン)をやり出した頃から「俺ギターもやっぱりやりてぇわ」って強く思うようになって。そのあたりからぼちぼち弾くようになったかな。それまではやっぱりターンテーブルがメインで。

ーーそれは、自分の技量の限界を当時は感じてたのか、それとも自分の音楽的嗜好とギターという楽器が両立しなかったのか。

大友:両方かな。自分ができることと音楽的嗜好とがちょっとズレてたのもあったし。あとギター弾いちゃうと普通に音楽になるけど、もっともっとノイジーなものに行きたかったから、だからどんどんギター以外のもにいったってのもある。ギターもターンテーブルも、ノイズ、コラージュするマシンとしての意識だったなあ。それがすごい変わりだしたのがコラージュを止めだしたあたり。ターンテーブルを、コラージュのためじゃなくて、ノイズやフィードバックさせるための機械として使い出したのが97年あたりで、グラウンド・ゼロを解散したあたりかな。その頃から逆にギターのほうは、ギターとして弾こうと思いだした。

ーーなるほど。クリック、リズムマシン的なものとご自分の感覚の距離感の話をされてましたが、ここにはsaidrumのリズムマシーンが入ってますね。

大友:映画なりドラマが必要とするなら使いますよ。「鈴木先生」はリズムマシンにのほうがいいかなって。前ので言うと「白洲次郎メインテーマ」もそうなんだけど、リズムマシンで行こうと思う時は迷わずに行っちゃう。ドラマとか、映画の内容に合わせて。そこにこだわりはないなあ。どっちもかっこいいと思ってるもん。ただまぁ、基本的に生でやることが多いので、僕に来る依頼でそもそもリズムマシンっぽい音楽を求めてる人はかなり少ないってだけで。

ーー特にこの「対立」って曲、このリズムがかなりポイントかなと思います。

大友:すっごい好きなんですよ、この演奏。ドラムマシンでマイルス(・デイヴィス)みたいにしたいなって感じで、楽しんでやってましたよ、震災の最中 なのに。世の中がこんな凄いことになってるって知らずに、「大丈夫だよ、停電になってないからやっちゃおう」って。「今日やんないともうやれないからさ」とかって言って。終わってみたら世の中凄いことになってて。そっからあと、人生が大きく変わるとは思ってなかったけど。

ーー音楽家としての自分に何か変化はありました?

大友:ものすごい変わったと思うな。最も変わったのはアマチュアの人たちとガンガンやるようになったことかな。

ーーワークショップを始めたのも震災以降でしたっけ?

大友:その前からやってたけど、それは頼まれたらやってたって感じだった。積極的に自分からアマチュアとオーケストラ組んだりっていうのは震災以降。

ーープロじゃない人とやることに、どういう意味があって、どういうものをもたらすんですか。

大友:福島に行って活動を始めた時に(注:大友は10代の多くを福島で過ごしている)、東京からミュージシャン呼んでコンサートやるのもいいけど、地元の人となんとかできないもんかって思ったのが大きいかな。東京だと自分の望むミュージシャンはいっぱいいて、その人たちと作ればいいわけで。ところが福島に行ってみたらそんな状況はもちろんない。そんなところで音楽を作るってなったときに、どういう考え方や方法があるのか。震災後、東京か演奏家が来る機会が増えたのはいいんだけど、東京から来るのはやる人、見るのは被災者っていう構図になんか違和感感じちゃって。地元の人たちで音楽を作るにはどうしたらいいかと。そのときに、サックスが必要、ドラムが必要じゃなくて、とにかく来た人で、どんな人が来ても音楽できるようにしようと思った。もしペットボトルに砂入れてシャカシャカやる人しか来なかったら、それで面白い音楽ができるように考える。(ポンと叩いて)机でもいいし、とにかくその場に集まった人だけで面白くするにはどうしたらいいか。来た人でやる、考える。そこで思いついたのが誰でも参加できる、どんな楽器でもスキルでも参加できる即興のオーケストラなんです。たとえばこれだけ人数いて(取材の現場には6人)、これ(机を叩く音)と紙コップがあればなんらかの音楽はできると思う。仮に30分時間を俺にくれれば、CDに入れられるくらいのクオリティの楽しいダンサブルな曲を、今ここにいる人たちと一緒に即興で作れる自信があるもん。そんな感じで震災後はどんな人が来てもとりあえず楽しく音楽がその場で即興的にできる方法をばっかり考えてたなあ。

ーーそれはずいぶん変わりましたね。

大友:確かに変わったかも。誰が来てもその人に応じてやればいい。自分が望む音楽を作ろうと思ったら無理なんだけど、でもどんな人でも、歩けるなら足踏みはできるじゃない。そうしたらこれ(足踏み)を基本にしつつ、裏(拍)が打てる人がいたら(手拍子を入れる)。これだけでもちょっと楽しくなるじゃない。とにかく最低限できることだけでやればいい。『あまちゃん』のあのすっごいシンプルなテーマ曲が出てきたのはそういう経験が元になってるんです。ほんとに、たった2〜3音でも音楽できる、っていう経験というか。

ーーそれは震災という経験を経ていなければできなかった。

大友:できないっていうか、たぶんやろうとも思わなかったんじゃないかな。でも、やりだしたら面白くて。いつも自分がやってる音楽よりも面白くて、そのうち福島で盆踊りとかも始めて。だれでも参加できるってアイデアと盆踊りとかが混ざってくんだけど……面白いねぇ。面白い面白い。プロの現場で起こることって、やっぱある想定内で凄いことが起こるだけなんだけど、それはそれでもちろん面白いし、もの凄いことも起こるんだけど、誰でも参加できるものだと、そもそも想定がきないから、「はっ、今日はこうなるんだ」っていう驚き度合いがハンパなく面白くて。もともとノイズとかフリーインプロビゼーションをやってた人間にしてみれば、プロとやるよりよっぽどこっちのほうが面白いし自由。っていうのが僕にとってこの数年間ですごい発見。だから今、音楽やりたいと思った人間が集まったら、どんなスキルの人とでも、あっという間に面白くできると思ってる。

ーーへえ。すごいですね。

大友:いや俺、これ、自信持って言える。たぶんね、自分には音楽の才能ないなってこれまで思ってきたんだけど、この方法、努力したわけでもないのにできるから、うん、俺の唯一の才能そこだなって、やっと60歳近くになって気づいた。

ーーそういうふうに考えられるミュージシャン自体、そんなに多くないですよね。

大友:だってそんな必要ないもん(笑)。普通、生きてて。だから必要に迫られたってことだと思うんだけど。

ーーチャック・ベリーがワールドツアーするときに特定のバンドを組まないで、その行く先々の国で即席のバンドを作ってやってるみたいな。そういう話が昔ありました。

大友:あるけど、でもあれはさ、ある程度できることが前提の人が集まるじゃない。

ーーそれでも(ヘタクソなバンドメンバーに)相当怒ってたみたいですよ。

大友:俺は基本怒らない。だって楽器やったことない人が上手にリズム叩けなくて当たり前だもん。むしろその、上手に叩けないリズムは、プロじゃできない面白さでしょ。「ズレるなあ」とか「速くなるんだ」とか思いながら。だったらそれに合わせて面白くやればいい。自分の望む音楽を作ろうとしたら、そんなこと絶対できないけど、その人たちがやってる中で、できることで組み立てていけばなんとかなるもんで。出ることは全部受け入れるが基本。だからなんであれ怒る理由がない。もうひとつ重要なのはそれをアンサンブルにしていくこと。楽器初めて持った人が、ひとりで面白くなるのは大変だけど、でも、複数集まれば必ずなんとかなるし面白くなってくる。例えば、ダンッて(机を叩く)一人で叩くより、10人一緒に叩いたら結構な音になるでしょ。それで簡単なリズムを作るだけでも、なんとなく面白くなる。人って面白いもんで、ちょっと面白いと思うとさらに調子に乗る。音楽なんて調子に乗ってナンボでしょ。よく子供怒る時に「調子に乗るんじゃねぇ」って言うけど、むしろ「調子に乗れ」っていう感じで。それが、たぶんこの数年、俺が一番変わったとこかな。

ーーある意味で、大友さんはアーティストであることの制約から逃れたってことですよね。自分のやりたいことだけやる、という……。

大友:そういうのは十分やったし、今もやってるから、人とやるときに、そんなの持ち出さなくていいもん。それよりも、なんかその場にいる人で作る音楽というか、音が出ることで場が生まれるようなものがほんと面白くなっちゃったから。

ーー今の話を聞いて思ったのが、『いだてん』の関東大震災の後の復興運動会のエピソードです。選手も一般の人々もみんなが参加して。スポーツを楽しむ。

大友:そう、あれも、運動会って別に一等賞の人だけじゃなくて楽しくやれるじゃない。音楽もあんなふうにできるし、そういう作り方が面白い。たとえばプロのミュージシャンを呼ばず、そこいらにたまたまいる人連れてきて劇伴を作ることだって必要があればできると思ってる。それが合うドラマなら。以前『39窃盗団』っていう映画をやって(2012年公開)。それは障害を持った子が主人公で、その子を利用してオレオレ詐欺をやるっていうとんでもないストーリーなんだけど、そのときは、震災の直後に作った映画だったんで、たまたま近くに住んでるミュージシャンたちに来てもらって、映画のスタッフも入れて、みんなでバッといきなりやって作ったんだけど、今だったらもっと素人をいっぱい呼んでやることできるなって。「いだてんメインテーマ」もちょっとそんな感じがあるんだけど、さすがにこれ、2分20秒に収めなきゃいけないプロダクトなので、全部そういうふうにはできなかったんだけど。

ーーあのコーラスはちょっと参加したい(笑)。

大友:コーラスは全員素人ですよ、あれ。プロは一人も入れてない。プロにいい声で歌われたら台無しだもん(笑)。小野島さんがたまたまスタジオにいたらもちろん入れてましたよ。

ーー今度機会があったら呼んでください。

大友:もう終わっちゃうし、ないよ(笑)。でも震災後変わったのはそこかな、何よりも。だけど、今までやってきたことを否定してるわけではなくて。地続き、同時にそれがあるって感じかな。

ーーそれがあってこそ『あまちゃん』も『いだてん』もできた。

大友:うん、そうだと思う。もしも震災がない段階で『あまちゃん』とか『いだてん』の音楽作ったとしたら、今みたいな音楽にはならなかったと思う。それはちゃんと活かされてると思うな。

(取材・文=小野島大)

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大友良英インタビュー【後編】 “制約”が生み出す楽曲制作や演奏の面白さ

■リリース情報
『大河ドラマ「いだてん」オリジナル・サウンドトラック 後編』
発売:2019年7月24日(水)
価格:¥3,000(税抜)

『GEKIBAN 2~大友良英サウンドトラックアーカイブス~』
発売:2019年7月24日
価格:¥3,000(税抜)

■ライブ情報
『「大河ドラマ「いだてん」オリジナル・サウンドトラック 後編」レコ発ライブ』
7月29日(月)東京 新宿 PIT INN

『「GEKIBAN 2」レコ発ライブ』
8月13日(火)東京 新宿 PIT INN

オフィシャルサイト

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