伊福部昭は、なぜ「ゴジラのテーマ」を生み出せたのか? ハリウッド版最新作を機に考える

伊福部昭はゴジラそのものだった

 終戦を経て、映画音楽の仕事を伊福部昭のもとに『ゴジラ』の仕事の依頼が届く。『ゴジラ』の本多猪四郎監督によると、伊福部は最初の打ち合わせの後、「えらい事になった、こんな大きな音楽どうやってつくるか?!」と呟いていたという。そこで「大きいものが出てくる場合は大きな音で」と重低音を強調した作曲を行い、圧倒的な迫力を持つ『ゴジラ』のための伊福部音楽が誕生した。

 多くの日本人にとって『ゴジラ』は初めて目の当たりにする本格的な怪獣映画だった。巨大な破壊神ゴジラの姿とそこに被さる伊福部音楽は、人々に強烈な印象を与えた。大友は「ゴジラの音楽だって、それ以前にはなかったわけで。それを伊福部さんが発明した」「そういう意味では、伊福部さんは僕ら子どもに怪獣という概念を音楽でうえつけた親みたいなものだと思います」と語っている。

 『ゴジラ』の仕事に伊福部は大いに張り切って臨んだというが、ゴジラの存在そのものに強いシンパシーを抱いていたようだ。音楽評論家の片山杜秀は、「ゴジラそのものと伊福部そのものが重なるところがある」と語る。人間社会に破壊をもたらすゴジラは「よそ者であり異端」だが、もともとは水爆によって生まれたものであり、人間文明の内側にある。伊福部家は先に記したように、有力な豪族だったが日本からも近代からも弾かれて北海道に渡る。そこで伊福部昭はアイヌと出会い、正統な西洋音楽ではなく独自の音楽を作り上げていく。伊福部昭も「よそ者であり異端」なのだ。さらに言えば、伊福部昭もゴジラと同じく、戦争中の科学実験で被爆している。そこには文明に対する怒りがある。

 ゴジラは被爆して強くなり、原始的で野生的な生命力で現代文明そのものを破壊しようとした。伊福部音楽もポジティブで原始的なエネルギー、熱狂的なエネルギーですべてをなぎ倒す。片山は次のように語る。「伊福部が表現したいものをそのまま投入するとゴジラになるんですよ」。

 ゴジラと伊福部音楽は切り離せない。神性、歴史、文明への怒りなどを求めるならなおさらだ。科学的なアプローチを貫いたギャレス・エドワーズ監督『GODZILLA ゴジラ』(2014年)で伊福部音楽が使われず、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』で伊福部音楽が強烈な印象を残すのはそういう理由だろう。

 『ゴジラ』のために作られた伊福部音楽は、65年経ってもまったく色あせないどころか、今も世界中を熱狂させている。それは人間文明や科学だけでは説明しきれない、人々の心の奥深くにある何かを呼び起こしているからなのかもしれない。

参考:『伊福部昭 ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠』河出書房新社

※記事初出時、一部内容に誤りがございました。訂正の上、お詫びいたします。

■大山くまお
ライター・編集。名言、映画、ドラマ、アニメ、音楽などについて取材・執筆を行う。近著に『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』(共著)。文春オンラインにて名言記事を連載中。Twitter

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