高橋朱里、AKB48卒業で新たな挑戦 グループにおける功績と『PRODUCE 48』を経た変化
その目標を実現するように、同年6月から8月まで放送された『PRODUCE 48』では、自身の“個の能力”を磨き上げた。同番組では、全4回のバトルを勝ち上がった20名の最終メンバーに選ばれるも、惜しくもデビューを逃した。
当時を振り返るインタビューのなかでは、韓国でアイドルとして活動することの厳しさを語っていた(参考:現代ビジネス)。「私も7年ほどアイドルをやってきて、「7年間なにしてたの?」って言われたときに、もう絶望でしたね(笑)。心の底から。ああ、なにしてたんだろうって」との言葉は、ファンの胸にもとりわけ深く刺さったことだろう。なかには、当時のレッスンにおける心境が、AKB48の延長線上にあるかと問われた際、「延長線では結べないレベルでした。「自分はAKB48でこれをやってきたから、これができる」ということは何もなかったです。本当に」と言い切る場面もあった。
しかし彼女は、同インタビュー終盤に「でも、まだ諦めてないです。また韓国のステージに立ちたいから」と、今回の再デビューに繋がるような言葉を残していた(参考:現代ビジネス)。彼女は現在、その言葉通りに韓国行きの切符を手にしている。今後の活動詳細はまだ明かされていないまでも、今度こそ彼女の努力も報われてほしい。そんな想いさえ抱いてしまう。
「AKB48とは夢のショーケースである」。これは、2011年放送の『DOCUMENTARY of AKB48 1ミリ先の未来』(NHK総合)に登場した、総合プロデューサーの秋元康による言葉だ。2011年といえば、奇しくも高橋が研究生オーディションに合格を果たした年である。AKB48とは、それぞれが新たな興味関心を探求して、次の挑戦に向けた切磋琢磨を繰り返すステージなのかもしれない。また、高橋が卒業発表した3月4日は、グループの代表的なシングルの1つ『10年桜』リリースから、きっかり10年を迎えたタイミングだったことも非常に運命的ではないだろうか。
グループを卒業しても、メンバーとの繋がりが途絶えるわけではない。次なるフィールドで手にした幸福が、グループの原動力になりえることは、過去のメンバーが証明するところだ。新たな挑戦に臨む高橋朱里は、今、この瞬間、誰よりも“AKB48”としての輝きを放っている。
(文=青木皓太)