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オリジナルアルバム『I LAND』インタビュー

山崎育三郎が目指す“エンターテイナー像”と歌手活動への思い「どんな場所でも人を楽しませたい」

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 山崎育三郎が7月25日に、オリジナルアルバム『I LAND』をリリースする。収録されているのは、初のオリジナルシングルで主演ドラマ『あいの結婚相談所』のテーマソングにもなった「Congratulations / あいのデータ」や、ミディアムテンポのラブソング「Beginning」、『ひるおび!』(TBS系)のエンディングテーマとしても親しまれた「Keep in touch」などの代表曲に加えて、自ら名付けた“ミュージカルPOPS”という新たなジャンルのリード曲「I LAND」など、歌手・山崎育三郎の現段階における集大成ともいえるラインナップ。ミュージカル界のプリンスとして確かなキャリアを築き、さらにドラマや歌手など、次々と活躍の場を広げている山崎が目指すエンターテイナー像とは。そして、“ミュージカルPOPS”に込めた想いとは。今、山崎が感じていることを、たっぷりと語ってもらった。(佐藤結衣)

ミュージカルこそ、僕の個性

ーーアルバムのリリースおめでとうございます。

山崎育三郎(以下、山崎):ありがとうございます。オリジナルアルバムというのは、歌手活動をする上でのひとつの目標として念頭にあったので、形になったのがとても嬉しいです。一昨年、昨年とカバーアルバムを2枚出させていただきましたが、僕にとっては必要な時間だったと感じています。少しずつ自分のオリジナリティとは何かを見つめて、これが山崎育三郎としての歌の世界、楽曲なんだ、というものが作れたと思っています。

ーーそれが“ミュージカルPOPS”ということでしょうか?

山崎:そうです。ミュージカル俳優としてやってきて、数年前からテレビに出る機会が増えるなかで、自分が思っていた以上に「ミュージカルっぽい」と言われるんです。キャラクターとしてわかりやすくするためでもあったのだと思いますが、「ミュージカルっぽく登場してください」とか「ミュージカル風に挨拶してください」といった演出も多くて。逆に、自分では無意識だったんですが、立ち振舞いが「ミュージカルっぽいです」と言われることもあって。それは、ミュージカルの世界から少し距離のあるテレビの世界に足を踏み入れたからこそ、見えてきたアイデンティティでした。20年、ミュージカルをやってきて、やっぱり僕とミュージカルは切り離すことのできない個性なんだと感じまして。ならば、“ミュージカルPOPS”という言葉を作って、僕にしかできない音楽を発信していこう、という想いがこのアルバムには込められています。

ーーまだ誰も成し遂げていない挑戦ということですね。

山崎:はい。ミュージカル俳優というのは、基本的にミュージカルの作品の有名なナンバーを集めたアルバムを出すというのが王道です。これまでも数々の先輩方が歩んできた道なんですけれど、今回のようにゼロから楽曲を生み出すという挑戦をしてきた方はいらっしゃらなかったです。新しいエンターテインメントを作っていくという意味では、この作品は大きな一歩だと思っています。

挑戦と挫折の繰り返しが、今につながっている

ーー今回収録されている曲の中には自ら制作に携わったものもあるそうですね。なかでも作詞をされた「Keep in touch」は応援してくださった方々への、感謝の気持ちが綴られているとお聞きしましたが……。

山崎:実は、僕のキャリアは挫折だらけなんです。最初の壁は、ミュージカルデビューのとき。1998年に初舞台で主演に選ばれました。そう聞くと、大きなチャンスに恵まれたように思えますが、それまで野球しかしたことのない歌が好きなだけの男の子が、突然ミュージカルの主役に選ばれるって、実際はものすごいプレッシャーで。まわりはみんな3歳からバレエをやってるとか、劇団に所属して小さいころからお芝居をしているとか、ミュージカルで主役をやったことがあるとか……そういう子どもたちがいる中で自分が主演になってしまって何もできない。当然、稽古場でも一番怒られました。踊れないし、お芝居もできないし。「帰れ! お前の代わりなんていくらでもいるんだ」って、毎日怒鳴られながら半年間の稽古をなんとか乗り越えて、ちょうど20年前の夏に初日を迎えたんです。そのときの光景は忘れられないですね。カーテンコールでお客様からワーッと拍手をもらったとき、“これを将来、仕事にしたい”と思いました。

ーーそこからは順風満帆だったんですか?

山崎:そうですね、しばらくは。子役としてオーディションにも次々と合格して、たくさんのチャンスをいただきました。ところが経験を重ねて、少しずつ自信を持って取り組んでいった矢先に、今度は変声期を迎えたんです。好きな歌が歌えなくなってしまったショックは大きかったですね。ボーイソプラノの高い声が出なくなり、大人の男性の声もまだ出せない。自分が主演した作品のオーディションにさえ落ちてしまう。自分が主役だった場所にも立てないなんて、と落ち込みました。

ーーその大きな壁は、どのように乗り越えたんですか?

山崎:そのときクラシックの先生との出会いがあったんです。「将来ミュージカルに戻りたいんであれば、基礎を勉強しておけば絶対あなたのためになるから。ブロードウェイとかロンドンのミュージカル俳優はみんなやってる」と言われて始めたのが、声楽クラシックでした。音楽大学附属高校を受験し、一度ミュージカルからは離れることを決意したんです。もちろん、ミュージカルをやりたい気持ちもありましたし、そのときできる役をこなしながら、ミュージカルの世界に居続けることもできたんですけど、1回ちゃんと勉強する時間を持とうと距離を置いたんです。結果として、声の状態が落ち着いてきた19歳のときに『レ・ミゼラブル』のオーディションに合格し、この世界に戻ることができたんですが、やっぱりそこでも乗り越えなければならない壁が出てきて……。

ーーなんと。次は、どのような葛藤が待っていたのですか?

山崎:23歳のとき、『モーツァルト!』で初めて帝国劇場の主演に選ばれたんですが、稽古中に演出家の方から「こんなんじゃダメだ。市村(正親)さんが主演にしか見えない」と言われてしまったんです。市村さんは僕のお父さん役で、主演は僕なのに。積み上げてきたものがあったはずなのに「なんにもなってない」と言われ続け、自分でも“この役は務まらない。僕にはできない……”というところまで追い込まれました。それでもなんとか本番初日を迎えたのですが、僕は本番中に肋骨を折ってしまったんです。ただでさえ、できるかどうかギリギリの役なのに、骨折なんかしてしまって。痛み止めを飲み、テーピングでぐるぐる巻きにして乗り越えたこともありました。そんなことの連続でしたね、20代は。チャレンジして、挫折して、なんとか乗り越えて、またチャレンジして、挫折して……その繰り返しでした。

ーー今のご活躍を見ると、もともと器用になんでもこなせるタイプの方だと思っていました。

山崎:お客様の前では、華やかな姿しか見せませんからね。実際にはスポットライトに照らされているよりも、自分との闘いの時間の方が長いですから。僕はミュージカル俳優をどこかアスリートのように捉えているんです。歌もダンスもお芝居もできなくちゃいけなくて、そこに求められるレベルはすごく高い。特に『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』といった有名作品になると、海外のチームが来日して作っていくんですね。そうすると、誰が有名だとか、人気があるとか関係なく、とにかく実力があるかどうか、役に合うかどうかというところだけで見られる。どんなにキャリアがあってもオーディションで勝ち取らなければならない。常に自分を磨いて、トレーニングをしなければならないし、前に進んでいなきゃできない世界にいたっていうのは大きいですね。そういう経験を10代、20代でできたっていうのは、大きいですね。厳しかったけれど、ミュージカルという世界で育って本当に良かったと思います。今はミュージカルで得た総合的な力を、それぞれのジャンルで伸ばしているような感覚です。歌うことは歌手活動に、芝居はドラマに、お客様へのトークはバラエティに……。すべての経験が今につながっています。

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