『Official髭男dism one-man tour 2018』
Official髭男dismが届ける“最大公約数的なポップス” 満員の中野サンプラザ公演を見て
昨今、ブラックミュージックからの影響というと、とかくインディーR&B以降のエレクトロを融合したサウンドやビート、グランジラップの内省的なリリックの表現などをクローズアップしがちな自分がいる。もちろん、リアルタイムで新しいことを追いかけると必然的にそうしたイシューに目がいくわけだが、こと日本のポップスシーンにおいて、長く親しまれJ-POPの重要な一部として昇華されたブラックミュージックの影響といえば、(いきなり具体的なアーティスト名で恐縮だが)Earth, Wind & Fireやスティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ブルーノ・マーズら、洋楽を洋楽と意識する必要もないほど一般的にヒットした楽曲が挙げられるのではないだろうか。
目下人気急上昇中のヒゲダンことOfficial髭男dismが、幅広い世代のリスナーに受け入れられ、年齢の高いファンほど横ノリしているライブでの光景を見て、「最大公約数的な今のポップスはこんなところにあったんだ」と、猛烈に目からウロコを落とした次第なのである。もちろん、彼らにはバンドの見せ方、衣装、演出からバンドロゴに至るまで、今の20代男性ならではのオリジナリティがあり、音楽性との新しい相性を証明しているからこそ、今、これほどの注目を集めてもいるのだが、日本人にとって親しみやすい洋楽要素をこれほどアップデートして自らのものにしたバンドの人気が、それでもまだ一部のものだというのはむしろ今後、可能性しかないと痛感させられた。
彼らの認知度をさらにアップさせた「ノーダウト」を主題歌に起用したドラマ『コンフィデンスマンJP』に出演した五十嵐役の小手伸也が開演前のアナウンスをしたり、場内が暗転する直前のBGMがFour Topsの「Reach Out I’ll Be There」だったり、ワクワクできる“入口”がグラデーション豊かなファンを楽しませる。エンターテイメントショーとしてなんだって提供しちゃいますよ、引き受けますよという頼もしさ。さらに一段高くなったセットでポーズを決める4人、キャバレー風のカラフルなライト、そして今時の女子高生の手書き風ロゴという全世代を包摂するセンスもヒゲダンならではだ。
勢いよく階段を走り降り、定位置に着いて鳴らされるイントロは「ノーダウト」。裏打ちのクラップをしながら、この時点でファンの心拍数はマックスに上昇していたはずだ。ラテン風の藤原聡(Vo/Pf)の歌メロとピアノリフ、歪み系のエフェクトで攻める小笹大輔(Gt)、4人のコーラスと、いくつものフックが音楽的快楽のツボを突いてくる。シームレスに同じくアルバム『エスカパレード』から「Second LINE」、樽崎誠(Ba/Sax)の重いベースラインと松浦匡希(Dr)の跳ねるビートが弾力のあるポップファンクを展開する「Tell Me Baby」と矢継ぎ早にキラーチューンを披露していく。「Tell Me Baby」の間奏部分のアレンジはスティーヴィー・ワンダーの「Sir Duke」の有名なブラスアレンジを彷彿させる部分がライブだとさらに迫力を増していて楽しめた。
感心するのが楽曲のバリエーションの広さだ。料理でいえば素材自体も味付けも気が利いたア・ラ・カルトが手際よく供されるような満足感をもたらされるのだ。藤原のよく伸びるハイトーンやロングトーンももちろん胸がすくのだが、言葉遊びとその言葉数の多さ、EDM以降の世界的なポップスとリンクするサウンドの質感を持つ「ブラザーズ」のようなトリッキーなレパートリーを持っているのも強い。〈あっちもこっちもシュガーレス/ぬいぐるみの出来レース〉というフレーズを楽器隊の3人がコーラスするちょっとシニカルなユーモアもいい。ちなみに人力以外のエレクトロなSEやブラスの打ち込みは藤原がキーボード横のPCを操作。ショーマンかつライブの進行を統率する指揮官と言ったところか。この手法は今後もっと洗練されてくるかもしれないが、4人のタイミングをバンドで培ってきた現状、ベターなやり方なのかもしれない。全方位に注力する藤原の熱量がそのまま可視化されたのは悪いことではないと思う。
ラブソングのバリエーションも広く、ピアノと歌をメインに聴かせる「相思相愛」、オートチューンを施したボーカルで現行のR&Bテイストを漂わせる「たかがアイラブユー」。もっとも親しみやすいタイプのピアノポップである「115万キロのフィルム」は、自分の頭の中にある映画のストーリーを聞いてくれという設定のマリッジソング。その後の日常を願うような「犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう!」で横ノリしながら気持ちはほのぼのするという、歌詞のオリジナリティもヒゲダンの強みだ。
本編ラストにセットした「発明家」も、あからさまな応援歌や励ましではなく、「みなさんの日常に寄り添う音楽」を心の底から標榜する彼ららしく、〈何度も何度でもつまずくから/僕らはジーニアス〉〈誰もが明日の発明家〉と、リスナーそれぞれの日常や状況を想像する余白を残しながら、主役になる意思を呼び起こしてくれる。ライブ全編を通して、ヒゲダンが「国民的バンド」を目指すだけの客観性と具体的な音楽性、そしてそれを実現するスキルに笑いながら圧倒された。つい半年前までインディーズで活動していた彼ら、いや、大人の思惑ではなく自分たちで導いた戦略だからこそ、彼らの音楽はまず自分たちに嘘がないのだろう。