三浦大知、ポップスターが追求した“表現者としての深化” 『球体』における取り組みの意義を紐解く
三浦大知が、7月11日に新アルバム『球体』をリリースする。
『球体』は、ボーカル×ダンスパフォーマンスの可能性を追求する三浦大知と音楽家・Nao’ymtによる実験的かつ未体験のプロジェクト。アルバムにはNao’ymtプロデュースによる断片的かつ群像劇的短編小説のような17楽曲を収録。また、三浦大知自身が演出、構成、振付し、ひとり歌い踊り、アルバムの物語を体現する同名の独演会も開催された。
日本を代表するエンターテイナーとして様々な場で活躍している三浦大知。『球体』では、そんな彼の表現者としての新しい一面が体現されている。今回、すでに同アルバムを聴きNHKホールでの独演会(6月17日公演)を鑑賞したレジーによる寄稿文を掲載。三浦大知の実験的な取り組みとキャリアにおける『球体』の意義を紐解いてもらった。(編集部)
「あまのじゃく」な三浦大知の新たなチャレンジ、『球体』
「自分は結構あまのじゃくなので、ベスト盤っていうある意味で王道の作品を作ったことに対する反動がものすごく来ると思うんですよね。「これ、ほんとに形になるかな?」っていうようなことを思いつくかもしれないですが、そういうものにこそちゃんとチャレンジしていきたいと思っています」(参考:三浦大知が語る、ソロデビュー13年の変遷と未来 「日本の音楽の面白さが世界に伝わったら」)
3月にリリースされたベストアルバム『BEST』に関するインタビューでのこの発言が強く印象に残っていたので、三浦大知の新たなプロジェクト『球体』が発表されたときには「なるほど、こうきたか」という感想を抱いた。
盟友でもあるNao'ymtとともに時間をかけて練られたアルバムと映像作品、そしてホールでの独演会によって構成される『球体』。一言で言ってしまうと、この一連のプロジェクトは「考えさせるエンターテインメント」である。そこで歌われているのは、わかりやすいラブソングでもなければ、特定の社会問題を啓発するタイプの楽曲でもない。前述したインタビューにおける「誰かにとっての気づきになるようなエンターテインメントを作りたい」という発言ともつながるアウトプットである。
ポップスターであるために必要な「表現者」としての側面
大ブレイクしたここ数年の動きにせよ、それより前の期間にせよ、三浦大知の根底には「自身のビジョンに様々な人たちを巻き込んでアウトプットを作る」「間口を狭めず広く音楽を届けようとする」という「ポップスター」としての資質とでも言うべきものがあった。
一方で、彼が『球体』で見せてくれるのは、これまでの流れとは対極に位置するような「孤高の表現者」としてのあり方である。自身の内面に深く潜り、その姿を鑑賞してもらう。直接的に巻き込むわけでなく、受け手の心に静かに染み込んでいくような表現が志向されている。
もちろん、これは「この先三浦大知は心を閉ざしていく」というような話では決してないだろう。ポップスターとして輝く人たちの多くは、あるタイミングで何重にも意味が積み重なった作品を産み落とすことで、自身の表現にさらなる深みを加えていく。たとえばちょうど新譜をリリースしたばかりの宇多田ヒカルは、「Automatic」など10代の心の機微を捉えたラブソングで大きな共感を得た後に、『DEEP RIVER』で遠藤周作の小説をモチーフにしながら死生観や宗教観といった大きなテーマと対峙した。先日サブスクリプションサービスへの音源解禁が発表されて大きな話題を呼んだMr.Childrenは、ブレイク後の絶頂期にダークなムードのコンセプトアルバム『深海』を作った。
自身の内面とじっくり対話するプロセスは、その先に改めて大衆と向かい合う際の大きなエネルギーとなる。三浦大知の『球体』も、今後彼がさらなる求心力を獲得するうえで大きな意味合いを持つ作品として位置づけられるはずである。