『AKB48 世界選抜総選挙』は“再考”の機を迎えた? 『PRODUCE48』との比較から見えたもの

 『AKB48 世界選抜総選挙』の開票イベントが6月16日に行われた。同イベントは、毎年生中継でのテレビ放送も行われるなど、グループの勢いを象徴する催しとして認知されており、今年は松井珠理奈がもっとも票を獲得し、1位に輝いた。

 だが、視聴率の低下もさることながら、今回の総選挙について、ファン以外からの冷ややかな視線が例年以上に厳しいのも、トピックの一つとして捉えることができるだろう。『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)を著書に持ち、48グループにも詳しいライターの香月孝史氏は、いま一度、選抜総選挙のあり方を問うべきタイミングが来たのではないかと指摘する。

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「『AKB48 選抜総選挙』という企画は元々、運営によって顔ぶれが決められていたためにファンからの異論も生まれやすかったシングルごとの歌唱メンバー選抜について、ファンの声を反映するために“民意”を問うという、ある種トリッキーな性格のいちイベントでした。しかし、規模を拡大しながら毎年恒例の企画となり、48グループのイベントの中でも世間からの注目度が最も高い催しになるにつれて、“票数で彼女たちに順位をつける”こと、およびその順位付けを可視化すること自体がイベントの主目的になっていくような様相が強まっているのが現状だと思います」

 そんな状況ではあるが、まだ総選挙には意義を託すことのできるポイントもあると同氏は続ける。

「48グループとは、所属メンバーたちが自分に合ったベクトルの自己表現を探し、世に問うためのフィールドとして存在しています。その自己表現とは必ずしも直接的に音楽活動に紐付いたものである必要はなく、その間口の広さをもとに展開される群像劇こそが48グループというエンターテインメントの特性です。タレントとしての総合力で聡明さをみせる指原莉乃さんや、YouTubeを中心に美容コンテンツを発信し支持層を拡大した吉田朱里さんは近年の理想的な成功例でしょう。

 順位付けの可視化・見世物化に傾斜せざるを得ない選抜総選挙が、それでもどうにか意義を持っているとすれば、そうした個々人による外向きのアウトプットが実り、支持を広く獲得したことを象徴的に示す場としてあるためです。今年の選抜総選挙についてはそのような象徴としての機能が後退し、“順位を獲得すること”自体が目的として前景化してきたように映りました。そうなると、ますます内向きなものになってしまうと同時に、彼女たちを順位づけし可視化することが見世物になるという性格が強調され、閉塞感や問題性が浮き彫りになります」

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