『WHITE』インタビュー
清水翔太が明かす、“ピュアなクリエイティブ”への思い「音楽だけは手を抜きたくない」
「だって僕、一度死にましたから」
ーーある種、翔太がリリックやトラック、曲自体に攻撃性を持ち合わせるようになったのは『PROUD』以降だと思うけど、それ以前から「悲しくなりました」のような声は聞こえてこなかった? それとも、SNSをやっていなかったから気づかなかっただけ?
清水:そもそもネガティブに受け止められないような表現をしてきたと思うんです。それだけアイドルに近いスタイルだったのかもしれない。『PROUD』以前の僕は、「みんなのすぐ隣で、いつも優しく微笑みかけてくれる清水翔太」だったけど、それが今は「隣に来るなら来てもいいけど、相手をするかしないかは僕次第」みたいな感じですから。
ーーたくましくなったね。
清水:極論ですけどね(笑)。ただ、僕はそういう関係性こそ、理想なんじゃないかなって思うんです。
ーーでは、アルバムについて詳しく聞いていこうと思うんですが、前述したように、なぜ清水翔太が『WHITE』というタイトルを命名したか。
清水:2つ、意味があります。ひとつは“自分にとってのホワイト”で、僕の心の奥にある、真っ白で汚れていないピュアなクリエイティブを表に出す作業。これって、実は簡単なようですごく困難で、「本当にホワイト」だなと思えたのが今作なんです。
ーー本来のまっさらな状態の清水翔太であると。
清水:音楽に目覚めた初期衝動の感性に近い雰囲気すら感じてるんです。それは曲作りの工程や、出来上がった曲の質感も。もはや生まれたての清水翔太のような感覚。
ーーでは、もうひとつの“ホワイト”は?
清水:聴き手に対する“ホワイト”です。例えば今の時代、おいしい料理が目の前に出てきても、温度や味を楽しむ前に、インスタにアップすることをメインに考えている人がいるじゃないですか。僕もSNSはやってますけど、そういう感覚はないかな。
ーーでも、料理の写真、大量にアップしてるよね?
清水:あれは店じゃなく、自分の家で作った自分の料理だから!(笑) ある意味、「しょん、こんなこともできるんだよ」っていう側面です。で、本題に戻りますけど、そうした人の思いが乗った料理はさておき、「私は今、ここにいます」「こんなにおいしいものを食べます」という承認欲求が先に立つのは好きじゃないんです。今の時代、音楽も似たようなもので、消費されていくかもしれないけど、人が作った作品に対しては、もっと本気で向き合うことも必要なんじゃないかな、って思うんですよ。もちろん、強要はしません。でも、長い時間、自分自身と向き合い、納得のいく形で完成させた作品に対し、そうした感覚で聴かれてしまうことは、どこか悲しいじゃないですか。大袈裟ですけど、何もない真っ白な空間で、たったひとつのものと向き合い、聴いてほしい。そんな意味のホワイトです。
ーー自分への意思と、相手への提案の“ホワイト”ということだ。
清水:でも、タイトルありきで制作を進めたわけではなく、作りながらゆっくりと芽生えてきた言葉なんです。きっと今回のアルバムは、そういう作品になるだろうな、自分にとっても聴き手にとっても、って。
ーーそう感じさせた背景には、常にどこか満たされない気持ちがありながらも、「最低限、納得できる形にはできてしまう」という、器用さゆえの葛藤が働いたんだろうね。
清水:自分のやることは最大の正解であって、最強である。そういった自信は常にありました。でも、場合によっては足を踏み外し、炎上の対象になるかもしれない。僕自身は間違ってはいないけど、間違った解釈がネットで拡散されてしまえば、それは誰かに迷惑をかけることになる。そうした気遣いが、表現の幅を狭め、作品をつまらなくしてしまっていたんでしょうね。
ーー実際に過去のインタビューでは「自主規制している」と言っていたことがあるくらいだからね。
清水:だからなのか、テレビやウェブも炎上を恐れて自主規制を働かせているなか、僕は逆行して規制しないことにしたんです。以前から僕は男として前田慶次(マンガ『花の慶次』の主人公)に憧れているんですが、“負け戦こそ男の花”という気持ちを大事にしたい。「やめたほうがいいんじゃないか?」というところまで歩みを進めて、そこで初めてジャッジすればいい。今は、そんな思いきりやれている楽しさがあるんで、恐怖感もないんです。だって僕、一度死にましたから。
ーーそれは、腹をくくったとき?
清水:そう。歌そのものをやめようと思ったくらいですから。