円堂都司昭 欅坂46『真っ白なものは汚したくなる』評

欅坂46とミュージカルの親近性 エンターテインメント集団としての表現を1stアルバムから考察

 「サイレントマジョリティー」や「不協和音」に象徴される欅坂46のイメージをめぐっては、記事で反抗、革命という言葉が使われたり、ロック的な文脈に引き寄せたりする例がみられた。一方、大人に命じられた通り揃いの制服を着て、振付通り踊りながら大人に反抗する曲を歌うことを揶揄する意見もあった。自作自演重視の旧来型のロック的観点から解釈した批判だ。しかし、反抗、革命はロックの専売特許ではないし、ミュージカルでもよくとりあげられてきた題材だ。

 例えば、最近では乃木坂46の生田絵梨花も出演している『レ・ミゼラブル』は、王政打倒を訴えた六月暴動で人々が声を上げ「民衆の歌」を合唱するのが名場面となっている。また、宝塚の古典『ベルサイユのばら』では、フランス革命での戦闘を男装の麗人オスカルを中心とした群舞で表現した場面でクライマックスを迎える。「サイレントマジョリティー」や「不協和音」には、ロックよりもむしろその種のミュージカルとの親近性を感じる。

 欅坂46のシングル曲の振付はみな、TAKAHIROによるものだ。彼は、曲に振りを付ける前にはメンバーと歌詞について話しあう。曲中でメンバーが自由に踊っていい部分を設けるのも特徴だ。また、「この世界には愛しかない」ではポエトリー・リーディングが多くとりいれられ、「エキセントリック」でもラップ調の部分があり、「不協和音」や「月曜日の朝、スカートが切られた」などでも決め台詞といえるフレーズが出てくる。欅坂46はドラマ出演する前から、音楽を芝居的にとらえることで歌詞理解や表現に関して成長してきた。そのうえで多様な内容を持つ曲をパフォーマンスしてきた。憑依型の演技をみせる平手友梨奈という逸材がいたから、このような歩みになった面はあるかもしれない。

 一方、ミュージカルにおいて暴動や革命がよく扱われるのは、政治的な理由というよりエンターテインメントとしての特性による。人々が揃って声を上げ、体を張る暴動や革命というシチュエーションは、集団で踊り歌うエンターテインメントであるミュージカルを盛り上げやすいからだ。

 アイドルグループはライブ前にメンバーが円陣を組み、気合入れをしたりする。乃木坂46の場合、かけ声は「努力、感謝、笑顔、うちらは乃木坂上り坂46!」。それに対し欅坂46は、「けやき」の頭文字をとって「謙虚、優しさ、絆、キラキラ輝け欅坂46!」と声をあわす。大人への反抗、個の自己主張といったグループの基本線のイメージと「謙虚」や「絆」は合致しないようにもみえる。

 しかし、平手は「サイレントマジョリティー」の「モーセ」の部分で自分の姿がかっこよくみえるのは、他のメンバーがいい表情で列を揃えているからだとインタビューで答えている(『QJ』vol.129)。そこでは、個の表現と集団の表現は一体になっている。また、彼女は、みんなで一つの作品をつくるのはミュージカルみたいな感覚かもしれないと発言している。加えて、欅坂46の曲は全部つながっている気がするとも話していた(『ROCKIN’ ON JAPAN』2017年4月号)。エンディングで「サイレントマジョリティー」へとつながる「月曜日の朝、スカートを切られた」のMVは、平手の言葉を裏付けているかのようだ。

 若いメンバーたちには、反発心も慈しみの心もあるだろう。ミュージカル的な感覚のエンターテインメント集団である欅坂46に、大人への反抗や個の自己主張と、謙虚、優しさ、絆が同居していることに無理はない。私は『真っ白なものは汚したくなる』を、そんなアルバムとして楽しんだ。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。

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