DARTHREIDERが日本語ラップに抱くアンビバレンツな感情 「マイノリティだと自覚している」
BASSONS的な何か、である方が損得感情なしでできる
ーーでも、ほぼ同時にリリースされたTHE BASSONSは、日本語ラップではありませんね。以前、ダースさんに少年時代のお話を伺ったことがありますが、THE BASSONSというのは、小さい頃にビートルズから始まって、中学生、高校生とサイケデリックな音楽へと傾倒していきながら、ファンカデリックやプリンスを発見していった少年のダースさんをやはり思い起こさせる音楽だと思います。
D:そういうところはありますね。それまではロックから始まっていろいろなジャンルのものを聞いていて、そうしたものを「あ、これ全部ヒップホップって名前をつければ大丈夫だな」と思って、ラップというものを通していったのは19歳、20歳なんですが、40歳になって音楽表現として、当時の10代の僕がなんとなく聞いていた、プログレだったり、ロックンロールだったり、ファンカデリック、マイルス・デイヴィス、リー・ペリー、ボブ・マーリィー……それが何だったんだ? と(総括)できるようになったのがTHE BASSONSです。それは、僕はヒップホップだと思ってやってます。本来の僕の考えているヒップホップというのは、すごく大雑把にいうと、なんでもかっこいいモノや美味しいモノがあったら、その上でかっこつけてふんぞりかえるもの、「これ、オレの」というもの、それがヒップホップ的なことだと思うんです。それを僕が自分のバックグラウンドに即してやるとしたら、それはTHE BASSONSなんです。
ーーそれは判ります。僕はTHE BASSONSはすごくかっこいいと思います。でも、ダースさんの日本語ラップのファンだったので、日本語でラップしていなかったのは大変ショックでした。
D:日本語ラップと日本語ラップ史の文脈では僕は自分をマイノリティだと自覚していています。人によっては僕のことを“中心”だとか、若い子からしたら“権力側”とか“フィクサー”だとか思っている人もいると思うんですが、僕からしたら、僕はプラス・ワン・モアだと。つまり、僕は日本語ラップのマイノリティで(日本語ラップ・シーンに)席に余裕があるときには、僕が座るところがあるんですが、席に余裕がなくなったら、最初に僕が外に出される、という存在だと僕は自分のこと思っています。こういうときには呼ばれないんだな、とか思うときがけっこうあって。実際にもそうだし、感覚としてもあるわけです。
ーーそれはないでしょう……と僕が言っても仕方がないと思いますが。
D:でも、ヒップホップにとってそういう存在は大切だと思ってるし、ほっとかれたら席から蹴り出されるような人が「いや、オレはこういう人間なんだ」、「オレたちはこういう人間なんだ」ってアピールしなきゃいけないのがヒップホップっていう意味で、だからこそヒップホップは世界的な文化でワールドワイドなものになってきた。また、ヒップホップ性を保つのは、メインストリームにいては出来ない、というところもある。「5years」ではないけど「オレはこう思ったよ」、「オレはこの曲いいと思ったよ」とは死んでからでは教えられないし……モノだけ残っていても、それがなんなのか、って判らないし。『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』を書いたのも、僕が見てきたものを手渡していこう、と。日本語ラップへの決別宣言ではなくて、いつなんどき旅立っても大丈夫なようにしていこうというのは基本的にはある。そのうえで、日本語ラップに対してのアンビバレンツな感情っていうのもあって、それはTHE BASSONSの作品にもあります。日本語ラップの仲間意識に対して、ある種の諦め感があります。今、10代の子がサイファーとかに行って、仲間を作るのはいいと思う。それは損得感情なしにやっているから。誰が仲間で誰が仲間じゃないか、という話もあります。利他的な行動を取れる相手は仲間ですよね。本で語っている1990年代初期のラップ・シーンっていうのは、みんなある種の仲間意識があった。ラッパーからDJから、雑誌の編集者まで、同じものを相手に戦っているという意識があった。ヒット曲が出たらみんなで喜ぶ。でも、僕が今そういう気持ちで何かをやるのなら、日本語ラップ的な何かではなく、BASSONS的な何か、である方が損得感情なしでできる。すごくピュアにやっているんです。バンドというのは仲間ですから。
ーー9SARIを円満退社されましたが……。
D:個人でいえば漢のためになにかやるかっていえば、ためになると思ったら今でも全然やります。仲間だと思うし。
ーー日本語ラップのシーンで起きていることと、ヒップホップ的な原理から考える表現が、ダースさんの中で今、乖離してきているということなんでしょうか。
D:以前、いとうせいこうさんと対談して思ったことでもあるんですが、いわゆるヒップホップではなく、日本語の新しい可能性としての日本語ラップ、日本語論として、日本語が進化しているという証左としてのフリースタイルが果たしている役割というのは、ヒップホップではないですが、面白いところだと思っています。それはオバちゃんだろうが、小学生だろうが、ラップしてみて、っていうと、いわゆる5-7-5のリズムではなく、日本語ラップのリズムでラップします。これって日本語が進化しているのではないか、と。これはヒップホップとは別に、日本語が言語としてまた生き生きとしてきているというのは、素晴らしいことではないか、と思います。そこにヒップホップ・マインドを持ち込んで、(盛り上がっている現状を)叩いたりするのも僕は嫌です。「(ヒップホップを知らない奴が)語るんじゃない」とか「もっと勉強してこい」とか、そういうんじゃない。今、せっかくシーンが面白いんだから、「好き勝手にやっていいから」というのは、この本も含めて伝えたかったことでもありますね。
(取材・文=荏開津広)
■シングル情報
『5years』
発売中
・iTune
■書籍情報
『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』(KADOKAWA)
著:DARTHREIDER
商品情報ページ
THE BASSONSオフィシャルサイト
ReiWordup (@DARTHREIDER)