Theピーズの日本武道館はハイライトの連続だったーー“生きのばし”てきた30年とこれから

Theピーズの日本武道館はハイライトの連続だった

 さらに、2005年のアルバム『赤羽39』を最後にメジャーを離れたあとは、定期的にアルバムを出して全国流通させる、というやりかたではなくなる。1年に1枚くらい、3曲か4曲入ったシングルを作ってライブ会場と公式サイトの通販で売る、アルバムは基本的に作らない。『赤羽39』以降のアルバムサイズの作品は、それらのシングルなどを2012年にまとめた『アルキネマ(2007→)』1枚のみ(19曲も入っていますが)。

 というツアーのやりかたにも、リリースのしかたにも、Theピーズを続けていくにはこれしかない、これでいいんだ、と納得しているが、それでも全国各地を回れないことや、わかりやすく情報が伝わる形でコンスタントにリリースしていけないことの、ファンに対する申し訳ない思いを、ずっと抱えていたんだなあーーということが、この武道館で、とてもわかった気がしたのだった。

Theピーズ日本武道館は、なんのために行われたのか、そしてなにゆえに大成功したのかを考えるの画像12

 かつてTheピーズ大好きだったけど離れてしまったファンのことも、責める気持ちにはなれない。そりゃ離れるよなあ、というか。でもお互い気持ちは残ったまま、「ふぬけた」の歌詞で言うと「好きなまま終わるよ恋」みたいな状態だよなあ、というか。

 そういう人たちと、最後にちゃんと会っておきたい。Theピーズ、ずっとやって来たよ、元気に生きのばして来たよ、きみと離れてからもいっぱい曲を作って来たんだよ、ということを伝えたい。お互い大人だし、いろいろ忙しいし、住んでるところも遠かったりするから会えないね、これが最後かもしれないけど元気でね、という思いを届けたい。

 唯一のそういう機会が、Theピーズにとっての日本武道館だった。だから決行した、ということだ。

 そして、現に、日本全国の元ファンたちにも気持ちが残っていた。

 Theピーズのライブに行かなくなったし、新しい音源も追わなくなった。というか、Theピーズ以前に、年齢や生活環境の変化で、音楽を聴いたりライブに行ったりということ自体をしなくなった、という人も多いだろう。

 でも、Theピーズから受けた衝撃を憶えていたし、Theピーズの音楽と共に生きた時期が自分に確かにあったことを忘れていなかった。そんな元ファンたちが、平日なのに仕事やなんかの都合をつけて、日本武道館に駆けつけて超満員にする程度には、日本各地に存在した、ということだ。

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 バンドブームのあと、なので90年代の半ば頃。いろんなバンドのCDがレコファンで安値で叩き売られている中、TheピーズのCDは全然店頭になかったことを思い出した。売らないのだ。生涯持っていたいのだ、たとえ自分が現役のロック・ファンでなくなってしまっても。そういうバンドなのだ。

 ライブで定番になっている休止前の代表曲たちはもちろん、「どっかにいこー」のような、そんなに頻繁にはやらない曲も選ばれていた。メジャー離脱以降に書いて、ずっとライブでやり続けてきた「3度目のキネマ」「絵描き」「真空管」あたりの曲もいっぱいやったし、出たばかりの最新シングルの2曲、「ブラボー」「異国の扉」は両方プレイした。

 「普段ライブハウスでやっていることをそのままやる」というポリシーのもと、ビジョンもセットもなしで武道館に臨んだフラワーカンパニーズやTHE COLLECTORSとは違い、ステージの作りはシンプルだが、ビジョンを入れたり、最新スピーカーを導入したりと、「より観やすく」「より聴きやすく」「より届きやすく」ということを目指していた。

 そのような選曲と演出も、「最後にちゃんと伝えたい」という意志からだったのだと思う。

 Theピーズの3人と、これを仕組んだスタッフと、「ピーズを武道館に立たせろ」とそのスタッフのケツを叩きまくった仲間のミュージシャンや関係者たちに、「おかげでこんな、生涯忘れられない思いをさせてもらいました」とお礼を言いたい、というのは、まずある。

 が、それ以上に、今のTheピーズになってからもライブハウスに足を運び続けてきた、音源を聴き続けてきた、熱心なコアファンのみなさんにお礼を言いたい、と、強く思った。

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 Theピーズを支え続けてきたのはあなたたちです、あなたたちがピーズを生きのばさせてくれたおかげで、怠惰なファンである我々も、武道館であんな気持ちを味わうことができました、と。

 って、じゃあおまえは違うのかよ、って話だが、はい、正直、胸を張って「コアファンだ」と言えるほどではない、という自覚はあります。

 リキッドルームや新宿BLAZEには行くけど、新宿紅布とかまでは行っていなかったり、1人ピーズ(はるの弾き語りでライブをやる)までは追っかけていなかったりするので。

 6月16日現在、Theピーズの次のアクションは発表されていない。ライブの予定も1人ピーズだけ。だが、これは、新しいTheピーズのライブの音の出し方を作るための準備期間が必要だからであって、このまま動かなくなるようなことは、まずないだろう。

 「武道館の打ち上げでは、さすがに酒呑みます?」ときいたら、「呑まないと思うよ。俺、もうちょっとやりたいもん、音楽」と言っていたし、はる。で、実際、呑んでなかったし。

 次のTheピーズも楽しみに待ちたい。そして、その日が来たら、武道館にお別れを言いに来た人たちが、なんか何人も戻って来ちゃった、みたいなことになったらとても素敵だなあ、と思う。

 で、それ、あり得るんじゃないか、とも思う。メジャー離脱以降の曲たちを武道館で聴いているお客さんたちの表情を見ていて、そう感じた。

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■セットリスト

1 ノロマが走ってく
2 とどめをハデにくれ
3 鉄道6号
4 焼めし
5 ブラボー
6 映画(ゴム焼)
7 脱線
8 でいーね
9 いちゃつく2人
10 死にたい奴は死ね
11 クズんなってGO
12 実験4号
13 トロピカル
14 オナニー禁止令
15 温霧島
16 異国の扉
17 3度目のキネマ
18 絵描き
19 ハニー
20 喰えそうもねー
21 どっかにいこー
22 線香花火大会
23 バカになったのに
24 日が暮れても彼女と歩いてた
25 サイナラ
26 ドロ舟
27 真空管
28 生きのばし
<Encore1>
29 底なし
30 ゴーラン
31 デブ・ジャージ
32 君は僕を好きかい
33 脳ミソ
<Encore2>
34じゃますんなボケ(何様ランド)
35 グライダー
<END SE>
好きなコはできた

注:「死にたい奴は死ね」は、JASRAC登録の曲名は「シニタイヤツハシネ – born to die」ですが、これは当時レコード会社からの「言葉がきつすぎるからせめてカタカナにしてくれ」という指定でこうなったものであり、その後のセットリスト等で本人たちは「死にたい奴は死ね」と記し続けているので、そちらに合わせました。

■兵庫慎司
1968年生まれ。音楽などのライター。「リアルサウンド」「CINRA NET.」「DI:GA online」「ROCKIN’ON JAPAN」「週刊SPA!」「CREA」「KAMINOGE」などに寄稿中。フラワーカンパニーズとの共著『消えぞこない メンバーチェンジなし! 活動休止なし! ヒット曲なし! のバンドが結成26年で日本武道館ワンマンにたどりつく話』(リットーミュージック)が発売中。

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