太田省一『ジャニーズとテレビ史』第三十二回:『ぼくらの勇気 未満都市』&『LOVE LOVE あいしてる』
KinKi Kidsに息づく“ジャニーズの二本柱” 『未満都市』『LOVE LOVE あいしてる』復活の意義
しかし番組がスタートしてみると、逆にその意外な組み合わせが功を奏したかたちになった。バラエティにありがちな前のめりなノリとは真逆の、ぶっきらぼうで居心地の悪そうにさえ見える吉田拓郎の自然体は、KinKi Kidsの心得たツッコミもあって番組の大切なアクセントになっていった。
当初の拓郎の不安は、彼のブログにも綴られている。彼は、出演交渉にやってきた番組プロデューサーに「若すぎる2人と俺では無理がある、無茶だよ」とずっと渋っていた。だがいざ番組が始まってみると、そんな気持ちはいつの間にか消えていた。それはKinKi Kidsの二人が「『彼等でないとあり得ない』爽やかな情熱で番組に音楽に僕に接してきた」からだった(『吉田拓郎オフィシャルサイト』より)。
だがその思いは一方通行のものではなく、KinKi Kidsから見てもそうだった。吉田拓郎は彼らに「君たちと会って、人生が変わった」と言ったという(『スポーツ報知』2017年1月7日付記事)。相手がはるかに年下であろうと隔たりなく接し、そこから学んで新しい自分の可能性を広げていく拓郎は、現実にも「大人っちゅうやつになっていく」年齢にあった当時の彼ら、つまり「ヤマト」と「タケル」にとって、「こんな大人になりたい」と思わせる人であった。
そんな両者の思いは、音楽を通じてさらに固く結ばれていった。
番組の企画で、堂本光一と堂本剛は吉田拓郎や坂崎幸之助の教えを受けてギターの演奏を覚え、それがやがて吉田拓郎とのコラボに結実する。1998年には、元々吉田拓郎作曲で番組テーマソングとしてつくられた「全部だきしめて」をKinKi Kidsが自らカバーして発売、さらに2000年には、吉田拓郎プロデュースのもと、堂本剛作詞・堂本光一作曲による彼らの自作曲「好きになってく 愛してく」を9枚目のシングルとして発売、いずれもオリコン週間CDシングルランキング1位を獲得した。
しかしそれ以上に、番組の目玉でもあった毎回の生演奏の経験が、二人にとって大きな財産になったと言えるかもしれない。番組限定で組まれたバンド「LOVE LOVEオールスターズ」やゲストを交えた吉田拓郎らとの生セッションは、バンド演奏というスタイルの醍醐味を二人に強く実感させてくれるものだったのではあるまいか。
このコラムでも何度か書いたが、ジャニーズの歴史のなかで、バンドという形態はパフォーマンスの重要な一部を成している。現在、バンドスタイルを基本にしているのはTOKIOだけだが、最近は元々楽器演奏を得意とする関ジャニ∞が『関ジャム』(テレビ朝日系)で毎回のように演奏を披露し、またHey! Say! JUMPやJr.内ユニットLove-tuneもバンド演奏を取り入れるなど、バンド復権の機運も高まっている。KinKi Kidsの『LOVE LOVE あいしてる』との出会いは、その後の堂本剛の活発なソロ音楽活動につながる一方、ジャニーズにおけるバンドの系譜を鮮やかに思い起こさせてくれるものでもあった。
舞台と音楽。それらはいわば、ジャニーズのエンターテインメントの二本柱だ。その意味で、ジャニーズスピリットはKinKi Kidsというデュオのなかに深く息づいている。そして『ぼくらの勇気 未満都市』と『LOVE LOVE あいしてる』の同時復活は、それが20年前から運命づけられたものであったことを改めて私たちに教えてくれる。
■太田省一
1960年生まれ。社会学者。テレビとその周辺(アイドル、お笑いなど)に関することが現在の主な執筆テーマ。著書に『SMAPと平成ニッポン 不安の時代のエンターテインメント』(光文社新書)、『ジャニーズの正体 エンターテインメントの戦後史』(双葉社)、『中居正広という生き方』(青弓社)、『社会は笑う・増補版』(青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論』(以上、筑摩書房)。WEBRONZAにて「ネット動画の風景」を連載中。