欅坂46「不協和音」は「サイレントマジョリティー」を超えるか 楽曲構成の“新しさ”を徹底分析
デビュー曲「サイレントマジョリティー」の楽曲分析でよく指摘される点は、おおかた以下の三点だ。
(1)メロディに短い反復がない(なのに記憶に残りやすい)
(2)全体的に女性ボーカルとしては低すぎる主旋律
(3)サビでの転調、およびその前兆としての奇妙なコード進行とリズム操作
これら、特に(1)と(2)に関しては昨今のアイドルソングの常識を覆すものーー特にAKBグループはそうした常識の中で作られていたはずだーーであり、アイドル業界の中心からそれを真っ向から否定するような曲が生まれたのは鮮烈な出来事であったし、(3)についてはJ-POP全体を見渡したとしても珍しいものだ。自分らしく、声を上げよ、といった詞のメッセージに斬新な楽曲技術が説得力を与える構図となっていた。しかしながら、さらにこれらの点をすべて否定したのが3rdシングル表題曲「二人セゾン」であった。
(1)’ サビでの反復、しかも近年のJ-POPらしくサビで始まるキャッチーな構成
(2)’ 女性の歌声が活きる高いキーの主旋律
(3)’ 日本人に馴染みのあるコード進行の組み合わせ、転調もしない
(1)’は(1)を、(2)’は(2)を、(3)’は(3)を、それぞれひっくり返した。「二人セゾン」はまるで、自分自身を否定するかのような楽曲であった。そしてそれこそが「二人セゾン」の“新しさ”だったのだ。では「不協和音」はどうだろう。
周りを気にせず自分を解放せよ、というテーマが与えられた時、それを(1)や(2)のようにアイドルソング的な方法論から脱却することで表現した「サイレントマジョリティー」。一方で、特徴的なメロディの反復と激しいエレクトロ・サウンドによって表現した「不協和音」。両者の作風は似ているようで、まったく異なるアプローチで同じテーマを表現している。その違いこそ、聴き込むべきポイントだ。「不協和音」は、「サイレントマジョリティー」と同じくバグベアによる作曲である。同じ作曲者、同じ作詞家、同じ歌い手が、約一年というインターバルで同じテーマに挑戦した時、いったいどれだけの変化を見せられるのか。言い換えれば、彼らがどれだけ成長したのかを作品として見せる。まさにそれこそが「不協和音」の“新しさ”である。
笑わないアイドル像であったり、センターの平手友梨奈の存在感や、TAKAHIROによる振り付けが注目されることの多いグループであるが、楽曲面についてもさまざまな試みが為されているのが欅坂46なのである。
■荻原 梓
88年生まれ。都内でCDを売りながら『クイック・ジャパン』などに記事を寄稿。
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