『ヒットの崩壊』発売記念対談 柴那典×レジーが語る、音楽カルチャーの復権とこれから

 音楽ジャーナリスト柴那典氏が、書籍『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)を上梓した。「ヒット曲は、かつて時代を反映する“鏡”だった。果たして、今はどうだろうか?」というテーマが掲げられた同著。小室哲哉や、いきものがかり 水野良樹をはじめとした音楽シーンの各分野で活躍するキーパーソン10名への取材をもとに、新しいヒットの方程式を考察している。

 今回、リアルサウンドでは柴氏と音楽ブロガーであるレジー氏の対談を企画。近年、音楽シーンではミュージシャンの活動の主軸がライブとなったり、音楽配信サービスが本格的に始まるなど、エポックメイキングな動きが立て続けに起きているが、その背景には一体何があるのだろうか。ヒット曲のあり方や、社会と音楽の関係、さらに、この先に訪れる未来の可能性についてまで、多岐にわたる議論を行なった。(編集部)

音楽の外側にある背景を読み、“ヒット”を考える

柴:まず、『ヒットの崩壊』というタイトルにはいくつかの意味が込められているんです。これは担当編集者からの提案でもあったのですが、僕が「ヒット曲がなくてもCDが売れなくても、最近は武道館公演ができる。怒髪天のように、一度はメジャーの契約を失ったとしても再びメジャーに戻ってくることもあるし、タフに生き延びてきたアーティストが今はたくさんいる」と、とてもポジティブな意味合いとして彼に話したところ、「それって“ヒットの崩壊”ですね」と、ある種ネガティブにとれる言葉で総括してもらったんですね。

レジー:「誰しもが知っているヒット曲が存在しない、でも個々のミュージシャンのやり方次第では十分に生きていける」という今の時代をどう捉えるかは人によってだいぶ違いがありますよね。たとえばこの本に登場する水野(良樹/いきものがかり)さんは、いわゆるヒット曲が生まれづらくなっている現状に対して一番心を痛めているミュージシャンなのではないかと思います。以前インタビューさせていただいた際にも「音楽を通じて社会に影響を与えたい」という旨のお話をしていただいたのですが(水野良樹(いきものがかり)ロングインタビュー:国民的グループを引っ張る「面白さ」と「葛藤」を語る)、この本の中での「みんなが共有できる曲がないと、それは音楽が社会に影響を与えているとは言い切れない。音楽はいくつかあるコンテンツのひとつになり、極端に言えばどうでもいいものになってしまうという危惧がある」という旨の彼の発言は、本全体を通してもかなり強く印象に残った部分でした。

柴:そうなんですよね。彼と同じような問題意識を持っているミュージシャンって、20代や30代の中にはそんなにいない。多くのミュージシャンは、自分と聴き手が一対一で結ばれることを求めているんですよね。僕も、それはそれで一つのとても美しいあり方だと思います。たとえば、結果的に2016年には「前前前世」という「みんなが知っているヒット曲」を生みましたが、そういう聴き手と一対一のマインドを持って活動してきたバンドの一例としてRADWIMPSが挙げられる。去年RADWIMPSといきものがかりは横浜アリーナで対バンしましたが、僕の中では対極の2バンドだった。

レジー:水野さんもRADWIMPSのことは意識していると言ってますもんね。

柴:同じ神奈川県出身でデビューした年も同じ2006年で、しかも互いにとても成功しているミュージシャン。そういう意味でも、意識しているところはあるのかもしれませんね。

レジー:「ヒット曲」に関連する話ではオリコンの垂石克哉さんへのインタビューがありましたが、そこで「オリコンのチャートは枚数という特定の基準があるからこそ機能している」という大原則が提示されていましたよね。そしてそのルールをハックするような形でAKB48が出てきて、他のアイドルもそこに乗っかることでチャートが機能不全になってしまった、というのが柴さんの説ですが、逆側から見るとアイドルの人たちにとってはオリコンチャートが「頑張りが数字で認められる分かり易い指標」として存在していて、だからこそアイドルブームが成立したという考え方もできるんじゃないかと僕は思っているんです。物事が駆動するためには、そういう目標になり得るものが必要ということなのかなと。『ヒットの崩壊』では、ハックされて機能しなくなったオリコンに関する功罪の“罪”の方が主に書かれていますが、ある面においては“功”もあったと僕は思います。あと、「歌のランキングは結果的にその人の人気投票になる」という話も興味深かったです。

柴:僕もそれは垂石さんの話を聞いて初めて気づいた点でした。AKB48がオリコンをハックしたという話はよくあるんですが、実はそれって特典商法を使ってCDセールスの枚数を稼ぐことだけではなかったんです。オリコンチャートはそもそもCDの売り上げランキングなのに「人間の対決」に見えるから注目を集めたとおっしゃっていた。80年代は松田聖子と中森明菜、90年代末から00年代初頭は浜崎あゆみと宇多田ヒカルの対決がオリコンチャートの中で行われていた。そういう風に人気を数値化していたものを、AKB48は「総選挙」の中で行うようになった。前田敦子と大島優子の対決はCDセールスの枚数ではなく投票数で行われるようになったということです。

レジー:今柴さんが例として挙げていた対決ですが、前田・大島の対決だけは少し意味合いが違う気がしました。松田・中森、浜崎・宇多田の場合は、「どちらが好きか」という趣が強かったと思いますが、前田・大島のケースに関しては「応援」という感覚がより強いのではないでしょうか。最近のSMAP「世界に一つだけの花」の購買運動もそうだと思いますが、「応援するためにCDを買う」という行為はますます一般的になりつつありますよね。この背景にはもしかしたら2011年の震災が関係しているというのもあるのかなと思っていて、「福島を応援するために野菜を買う」といった応援消費が広まっていく中で、そういった消費のトレンドが音楽の世界にも間接的にかもしれませんが波及したのかなと。そう考えると、アイドルシーンを中心にした「応援するための」CD購入というのも実は世の中のマクロトレンドと繋がっている部分があったとも言えるんじゃないかと思います。

柴:それをITの力で小さな規模でやれるようにしたのがクラウドファンディングで、マスからの世論喚起的に起こっているのが、SMAPの購買運動かもしれないですね。一方で、今は音楽がパッケージから動員の数字で語るものになったというマーケットの転換がある。ただ、これはこれで、動員がいくら大きくなっても、世の中の全体性のようなものにはなかなか繋がらないという問題があると思うんです。これも水野さんが話していたことですが、たとえ東京ドームでコンサートをやって5万人を熱狂させたとしても、ドームのある水道橋駅の駅前を歩いている人には、その音楽の魅力は届かない。ワンマンのライブやコンサートというのは、ミュージシャンとそのファンの中で回る幸せな世界なんですよね。もちろん、それは素晴らしいことですが、水野さんはその外側に行こうとする回路を意識している。いきものがかりを知らなくても、結婚式や卒業式で使われる曲として「ありがとう」は知ってる人たちがいる。あの曲はオリコン1位にはなっていないけれど、それも今の時代のひとつのヒット曲の在り方と言える。ヒット曲というものを考えるにはその音楽の外側にある背景を読まなければならない、というのはこの本を執筆するにあたり改めて実感したことでした。たとえば、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみ、B’z、DREAMS COME TRUE、GLAY、L’Arc〜en〜Cielもいて、ミリオンセラーが続出した90年代に、結局1番売れたシングルは「だんご三兄弟」だった。この事実からも、いかにヒットというものが音楽と関係ない領域で起こっているかということがわかる。ヒットの現象と音楽の純粋性は関係ないどころか、相反するものですらあり得る。

レジー:「だんご三兄弟」のケースは少し極端な例かもしれませんが、「ヒット」ということについて考えるならば「その曲がどういう音楽か」ということだけではなくて、もしくはそれ以上に「その曲がどういう形で世の中に伝わっていったか」ということに意識を向ける必要はありますよね。特に最近は商品単体ではなくて関連するサービスまで含めた体験全体のあり方を考えるというのがどんな領域においても不可避になっているわけで、ポップミュージックについてもビジネスとしての側面がある以上はそういう視点で語られることがあってもいいのかなとは思っています。それによって音楽そのものの地位が貶められる、ということでもないと思うので。

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