来るべき地殻変動の予兆はあったか? 栗原裕一郎の『POPS Parade Festival 2016』レポート

『POPS Parade Festival 2016』から感じたこと

受け皿としてのゲーム、アニメ

 さて、うっすら見えてきたかと思うが、この日の出演者たちはいくつかの共通点で結ばれている。

 まず90年代半ばから後半に活動を始めた、相互に所縁のある人たちであること。Swinging Popsicleは97年、ROUND TABLEは98年、沖井のいたCymbalsは99年にメジャーデビューした。risetteはメジャーデビューはしていないが97年から音源の発表を始めた。杉本清隆は98年に『pop'n music』に楽曲で参加しそのままコナミに入社した。

 次に、全組がゲーム音楽に関わっていること。Swinging Popsicle以外は皆『pop'n music』に楽曲提供をしている。Swinging Popsicleも近年はPCゲーム主題歌やアイドル楽曲などの提供をしている。その観点で見れば、このイベントの中核となる人物は杉本清隆だということもできるだろう。

 それから、花澤香菜がひとつの磁場になっていること。risette以外は全組何かしらで花澤香菜の音楽制作に携わっている。

 主催したサイト「ポプシクリップ。」がこのイベントにあわせてミニコミ『ポプシクリップ。マガジン』第7号を発行していて、出演バンド5組の座談会を掲載している。同窓的ミュージシャンたちに当時から現在までを語り合ってもらうといった趣旨だ。

 忌憚なくいうなら、不運にもJポップバブルが弾けるタイミングでデビューしてしまい、産業としての音楽が斜陽になっていくなかを生き延びてきた者たちの集いである。

 昨年のメロキュア復活のとき、ライターの前田久が2000年前後のJポップとアニソンの関係についてこんなふうに書いていた。

「2000年代前半に、CDの売上が全体的に低迷するなか、ジャニーズや演歌と同様に「アニメファン」という固定支持層を持つアニソンが、市場で存在感を増していった。こうしたビジネス面での注目の高まりにあわせて、楽曲面の面白さ、質の高さに注目した言説も、マスコミに多々登場するようになった、という流れがある」(参考:http://realsound.jp/2015/08/post-4350.html

 北川勝利がNinoをボーカルに迎えROUND TABLE featuring Ninoとしてアニメソングに参入したのは2002年のことだ。そのときの心境について北川はこう語っている。

「10年前に『アニメの曲を書きますか?書きませんか?』って言われて、やることにしたわけだけど、その時は僕がアニメの音楽に関わることはアウトだったんですよ」

「話を持ってきてくれたディレクターさんが、すごく音楽をよく知っている人で、何を聞いてもちゃんと答えが返ってきたんですよ。で、この人だったらチャレンジしてもいいかなって思えた。まあ、今でかい選択をしてるなっていうのは気付いてましたけどね」(花澤香菜『claire』リリース時の沖井、ミトとの鼎談より。聞き手は土佐有明。『MARQUEE』VOL.95)

 メインストリームだったJポップが退潮するなか、アニソンが音楽家たちに仕事を提供する受け皿になっていったわけだ。同様のことはゲームでも起こっていた。

 北川は秘して語らずのようだが、この時期しんどかっただろうことは想像に難くない。沖井は「『俺の人生、詰んだかな』って思った瞬間は何度もありました」とあるインタビューで話している(黒田隆憲『メロディがひらめくとき』DU BOOKS)。

 北川のいう「アウト」な感じについては、『ポプシクリップ。マガジン』の座談会で司会をしている同誌主宰者・黒須誠の発言がよく代弁していると思われる。

「自分たちの信じていたおしゃれな音楽をやっていたバンドが、自分が全く興味のない、またファン層が全く異なるゲームやアニメの世界へ行ってしまったことにショックを受けてしまうんです。自分たちが信じていたものが何だったのかと…ショックを受けてファンを辞めてしまう方もいるんですよ」

 たしかに離れていったファンもいただろうが、その一方で、主流とは言い難い場所で鳴らされたポップスによって新たなリスナーが育ってもいた。

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