レジーのJ−POP鳥瞰図 第10回

“テレビ×音楽”は新たな国民的ヒットソングを生むか? ceroの『SMAP×SMAP』出演の意義

音楽シーンの「タコツボ」を再統合するテレビ

「誰ですか?」

 ceroとのトークの冒頭に中居が発したこの言葉は、おそらく多くの視聴者の胸の内を代弁していたと思われる。現時点において、ceroは「能動的に音楽を聴く層(今の日本にとってはマイノリティのはず)」以外に届いているグループではないのが実態である。「S-LIVE」冒頭でのバンドの紹介においても、「オリコン8位」「CDショップ大賞」「フェスで注目」というおよそceroとは似つかわしくない、だが音楽に関心のない人にも注釈なしで伝わるであろう言葉が並んでいた。その後に「2016年、最新の音」というコピーが帳尻を合わせるかのように付与されていたことも含めて、全体的に番組の作り手の苦慮が伺える構成となっていた(だからこそ、前述したトークパートでの説明の鮮やかさが際立ったともいえる)。

 そんな手探り感のある放送を受けて、いくつかの指標がビビッドに反応した。ツイッターで「cero」がトレンド入りしただけでなく、アルバム『Obscure Ride』がAmazonで品切れ、iTunesでは1位を記録と金銭を伴うアクションも引き起こした。この事象は、テレビというメディアの位置づけを考えるうえでとても示唆に富んでいる。

 まず挙げたいのが(ある種当たり前の話ではあるのだが)、この媒体のリーチの広さである。以前香取慎吾が雑誌『オリ☆スタ』(オリコン・エンタテインメント)で、ceroが好きというのを明かしていたとのことだが、それだけではチャートは動かなかった。「テレビでなければ届かない場所」というのはまだまだ確実に存在する。加えて、放送後にAmazonやiTunesに立ちどころに影響が出たというのも今の時代らしい。これが90年代のメガヒット時代であれば「夜テレビで見る→翌日学校や職場でそれについて話す→帰りにCDショップで購入する」というフローになったはずだが、今では「夜テレビを見る→インターネットですぐに購入する→それについてSNSでシェアする」という流れが一般的になった。ネットの浸透に伴い個々の消費行動はバラバラになったはずだが、テレビはそれを瞬間的にまとめ上げることができる。

 人びとの好みの細分化が進む中で、テレビは「あくまでもいろいろあるメディアの一つ」になったはずだった。しかし、その存在感はいまだ侮れない。むしろ、「細分化しすぎて何を選べばいいかわからない」という時代において、一つのメッセージを大きく提示するテレビというメディアの価値は再び上昇しているような節もある。『SMAP×SMAP』後に『Obscure Ride』が売れたということは、すなわち「今まで『Obscure Ride』を聴いていなかった層が多数動いた」ということに他ならないが(「テレビを見る層」と「音楽を能動的に聴く層」の乖離がかなり大きい、という側面もあるかもしれない)、今回のケースは「良い音楽がテレビを介して広く伝わる」「小さい層のみによって楽しまれていた音楽が一気に違うフィールドまで届く」というモデルの可能性を改めて示しているとも言える。

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