アニソンの歴史に「メロキュア」というピースを嵌めるときが来た

 Realsoundという媒体の中心読者がどのような音楽聴取層なのか、本記事の筆者にはいまひとつ定かではないが、少なくとも「メロキュア」という名前が、読者の多くにとって大メジャーなものではないだろうと予想する。仮にアニメファン、アニメソングのリスナーであったとしても、若年層であれば、「かろうじて名前は知っている」くらいの感覚の人が、大半ではないだろうか。

 アニメソング――いわゆる「アニソン」が、音楽ファンならびに音楽マスコミから、さまざまな形で注目を集めるようになって久しい。2000年代前半に、CDの売上が全体的に低迷するなか、ジャニーズや演歌と同様に「アニメファン」という固定支持層を持つアニソンが、市場で存在感を増していった。こうしたビジネス面での注目の高まりにあわせて、楽曲面の面白さ、質の高さに注目した言説も、マスコミに多々登場するようになった、という流れがある。

 念のため述べておくと、こうした「注目」の高まりには、いささかの錯誤がある。アニソンの市場は、30分毎週放送形式の国産アニメがテレビで定期的に放映されるようになった黎明期である60年代、70年代の時点ですでに大きなものとして成立しており(通常の流行歌とチャートの棲み分けが行われていただけだという)、80年代や90年代においても、音源の発掘、再発という形で、その音楽的な質の高さについて注目する動きは起こっていた。また、80年代中盤以降、人気歌手、新人歌手とのタイアップが行われることで、アニソンといわゆる「J-POP」の融合が進んだことも、見落とせないトピックである。00年代から10年代にかけてのアニソンの盛り上がりは、こうした大河のような流れから、完全に切り離されたものではない。

 そのことを踏まえた上で理解していただきたいのだが、2000年代前半に、アニソンシーンではエポックな出来事が多々発生していた。レコード会社の垣根を超えたアニメソングの大規模合同ライブ『Animelo Summer Live』がスタート。YouTubeやニコニコ動画が広く人口に膾炙したことによって、過去のアニソンが「神曲」として発見される流れや、「歌い手」「踊り手」などによって曲が盛り上がる流れ(初期の代表例は『涼宮ハルヒの憂鬱』のEDテーマ「ハレ晴レユカイ」)が生じた。アニメ雑誌、声優雑誌の中でコーナー単位で取り上げられるだけだったアニソンに専門誌『アニソンマガジン』(洋泉社)が登場し、しばらくすると、イベントや音楽情報番組なども展開し、現在のアニソンシーンを牽引するアニソンファンの機関誌『リスアニ!』(エムオン・エンタテインメント)が現れていく……。

 メロキュアも、本来であれば、こうした2000年代の潮流の中で、重要なアーティストとして大きく活躍してしかるべき存在であった。

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