村尾泰郎の新譜キュレーション 第1回

今あえて「シンガー・ソングライター」と呼びたい音楽家とは? 村尾泰郎が邦洋の6作品を紹介

 今度はちょっと毛色の変わったシンガー・ソングライター・アルバムを、続けて2枚紹介したい。カナダ出身のモッキーは、ラップやエレクトロなど様々なアプローチを披露する一方で、ファイストやジェーン・バーキンなど様々なアーティストのプロデュースを手掛ける多才な男。新作『キー・チェンジ』は、ドラム、ベース、ギター、フルートなどほとんどの楽器を一人で演奏していて、チリー・ゴンザレスやファイストなど同郷の古くからの友人達や、フライング・ロータスやカルロス・ニーニョの作品で注目を集めるLAの新進気鋭のアレンジャー、ミゲル・アトウッド・ファーガソンなど多彩なゲストが参加している。モッキーはインストとヴォーカル曲を織り交ぜながながら、ジャジーでソウルフルなサウンドを展開。シネマティックな世界を作り出す演出力、洗練されたアレンジにプロデューサーとしてのワザを発揮しつつ、その囁くような歌声やアルバムを包み込むパーソナルなフィーリングに、シンガー・ソングライター的ロマンティシズムを感じさせる作品だ。

 そのモッキーと同じく、アルバムの世界観を強く感じさせるのが、PIZZICATO ONE『わたくしの二十世紀』だ。PIZZICATO ONEは元PIZZICATO FIVEの小西康陽のソロ・ユニットで本作は2作目となる。前作『11のとても悲しい歌』は海外のシンガーをフィーチャーした洋楽カヴァー集だったが、今作はUA、小泉今日子、西寺郷太(NONA REEVES)、YOU、甲田益也子、ムッシュかまやつなど、11人の日本人ヴォーカリストを招いたセルフ・カヴァー集だ。音数を切り詰めたアコースティックな演奏をバックに、くっきりと浮かび上がる言葉と歌声。その研ぎ澄まされたアレンジから、小西の書く歌に潜む“孤高の悲しみ”とでも呼びたくなるようなリリシズムに触れることができる。〈自分で歌っても、演奏もしていないのにシンガーソングライター・アルバム?〉とお叱りを受けるかもしれないが、すべての音、すべての歌声に〈小西康陽の魂〉が宿っていて、このアルバムを聞き終わった後に頭に浮かぶのは、スタジオで一人、頬杖をついている小西の後ろ姿。こういうシンガー・ソングライター・アルバムもある、と強くお薦めしたい。

 そして最後は、広島在住の二階堂和美の最新シングル『伝える花』。インディー時代は知る人ぞ知る存在だったのが二階堂だが、2011年に『にじみ』という傑作を発表。それが高畑勲監督の耳にとまって2013年のスタジオジブリ映画『かぐや姫の物語』の主題歌「いのちの記憶」を歌うことになり、いっきに知名度もあがった。それ以来、2年振りの新曲となる「伝える花」は、RCC中国放送が企画する「被爆70年プロジェクト 未来へ」のテーマ曲として書き下ろされたもの。以前、彼女は原爆の悲しみを題材に「蝉にたくして」という曲を書いているが、その曲の胸を突くような悲しみに比べると、爆心地に咲いた花にほのかな希望を見出す「伝える花」は、一輪の花が静かに風に揺れているような穏やかさがある。そして、静かな語り口のなかに、悲しみ、怒り、祈りを、繊細なニュアンスで織り込む歌声の素晴らしさ。どんな曲も自分のすべてを開放して、彼女は歌そのものになる。だからこそ、この大きなテーマを歌った曲も“お高くとまってない”のだ。とはいえ、「いのちの記憶」「伝える花」と重厚な曲が続いたので、次回は彼女のエンターテイナーとしての魅力を発揮したポップな作品を期待したいところ。歌いたくて歌いたくて仕方ない! そんな彼女の歌が聴きたくて仕方ない。

 というわけで、洋邦とりまぜて新作を紹介したが、どの作品もミュージシャンの息づかいが伝わってくるものばかり。歌を通じて歌い手と出会うこと、語り合うこと。それがシンガー・ソングライター作品を聴く楽しみであり、この6作はそんな楽しみを味あわせてくれるはずだ。

■村尾泰郎
ロック/映画ライター。『ミュージック・マガジン』『CDジャーナル』『CULÉL』『OCEANS』などで音楽や映画について執筆中。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』『はじまりのうた』『アメリカン・ハッスル』など映画パンフレットにも寄稿。監修を手掛けた書籍に『USオルタナティヴ・ロック 1978-1999』(シンコーミュージック)などがある。

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