“踊り”から読み直す日本の大衆音楽ーー輪島裕介『踊る昭和歌謡』を読む

ニューリズム以後の“踊る歌謡”

 ニューリズムの制作は橋幸夫の「恋のメキシカンロック」(67年)の失敗をもって打ち止めになった。“流行”はここで終わりグループサウンズの時代になるのだが、ニューリズム的要素はGSにも残存した。しかしそれも70年代に入る頃には潰える。

“踊る昭和歌謡”の系譜として本書は、アイドルディスコ歌謡、80年代アイドル、ホコ天、竹の子族、ユーロビート、ニコニコ動画の「歌ってみた」「踊ってみた」や、AKB48「恋するフォーチュンクッキー」の自作MVブームなどをプロットして現在に繋げようとするのだが、ニューリズムを扱った本編に比べるとちょっと精彩を欠く印象がある。

 本題のニューリズムに比べて記述が少なくなるのでやむを得ないところもあるのだが、それより本質的に問題なのは、ニューリズム終焉後の“踊る歌謡”にはいくつか断層が存在していて、系譜として並べるのに困難な面があるからではないかと思われる。

 70年前後の断層は、「どうにもとまらない」(72年)から始まる変身後の山本リンダが一人で支えることになったラテンを、ディスコ歌謡が引き継いでピンク・レディーやフィンガー5に繋げたとかろうじていえなくもないが、80年代になるとアイドルの“踊り”は見るものになり、リスナーが主体的に関わるものではなくなってしまう。

 そのなかで重視されるのが、80年代後半から90年代に隆盛を迎えたユーロービートだ。

「ユーロビートは、現在の地点から振り返ると、海外の流行スタイルが継続的なカヴァーの制作を通じて日本のメインストリームの音楽界で成功をおさめた、現在のところ最後の事例といえるかもしれない」

 だが、ユーロビートに繋がっていく荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」(85年)にしても、ディスコ発のヒット曲とはいえ、当時フロアやお茶の間がそれで踊っていたわけではないだろう。

「ダンシング・ヒーロー」は現在、岐阜県美濃加茂市の盆踊り(!)と不即不離に結び付いていて、毎年5万人がこの曲に合わせてホイホイホイホイ!と踊り狂うという奇妙な発展を遂げている(参考:踊り狂う5万人の荻野目洋子。美濃加茂のダンシング・ヒーロー盆踊りを見てきた - エキレビ! )。

 輪島は「ダンシング・ヒーロー」のこの展開と、ユーロビートのパラパラに親和性を見ている。下半身のグルーヴがなく、特定パターンの手振りだけで踊りが構成されているところに、盆踊りとパラパラの共通性、ひいては日本人のダンスのドメスティック性があるということだが、これは比較的よくなされる指摘でもある。ヲタ芸などにも同様のことがいえる。

 だがニコ動「踊ってみた」のダンスはボーカロイド文化と並んで展開してきた面が強く、そうしたドメスティック性とは切れているように見える(実はアイドルとも親和性は薄い)。BPMも異様に速いものが多く、黒いグルーヴとも黄色いパラパラとも違うものだ。ニュードメスティックとでもいうか。

 その点でいえば「恋チュン」の自作MVブームは、フィリー歌謡のリバイバルという保守反動的なものであって、「踊ってみた」文化のなかではむしろ異例に数えられるのではないか……。

 という具合に、最近になればなるほど錯綜し一筋縄ではいかなくなってくる。これらをすべて“踊る歌謡”の系譜で括るのは正直ちょっと難しいのではないかという気がする。

 ともあれ、主題であるニューリズムについて、ここまで包括的かつ精密に調べ上げた書物は他になく、著者の狙いである、戦後歌謡史およびラテン音楽受容、その二つについての相対化は十分に達成されているのではないかと思う。緻密な調査から掘り起こされた細かいネタにも初めて聞くようなものや意外なものが多くて、これだけでもかなり楽しめるでしょう。おすすめです。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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