indigo la Endは新しいルートで山を登るーーアルバム『幸せが溢れたら』の画期性とは?

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バンドアンサンブルが紡ぐ組曲『幸せが溢れたら』

 indigo la Endの最新アルバム『幸せが溢れたら』は、バンドとしてネクストステップに進んだことが明確に感じられる作品である。その魅力を自分なりにまとめると、「メロディアスなギターに頼らないバンド感の強化」と「アルバム全体としてのストーリーの提示」の2点となる。

 1点目のバンド感の強化については、アルバムの幕開けを飾る「ワンダーテンダー」に顕著だろう。イントロはギターのコードストローク1小節だけ。続くAメロで川谷絵音の歌声を支えるのは激しく動くベースラインと16分音符を刻むドラムのみで、アルバムの幕開けとしては珍しくリズム隊のグルーヴを前面に押し出したアレンジが施されている(これまでリリースされたすべてのアルバムとミニアルバムにおいて、1曲目のイントロには印象的なギターのフレーズが導入されていた)。また、8曲目の「花をひとつかみ」ではクリアなアルペジオによるBメロや音符を詰め込んだ歌唱がキャッチーなサビに対してAメロでは豪快なスラップベースがフィーチャーされているなど、作品全体を通じてベースの後鳥亮介が正式メンバーとして加入したことによる好影響が見て取れる。

 2点目であるアルバムのストーリーという部分に関しては、4曲目「心ふたつ」から5曲目のポエトリーリーディング「まなざしの予感」を挟んで6曲目「実験前」に流れていく展開を作品のハイライトとしてあげたい。エモーショナルなボーカルとストリングスの組み合わせが壮大な「心ふたつ」は、若手のギターバンドの曲というよりは「J-POPの最前線で長年戦ってきた人たちの作品」と言われた方がしっくりくる仕上がり。この曲で表現される未練まみれのぐちゃぐちゃな感情は、続く「まなざしの予感」における男女の切迫したつぶやきにつながる。そして、そんな緊張感のある空気を切り裂いて始まる「実験前」のカオティックな演奏と普段よりも上の音域をいくボーカルからは、これまでのインディゴではあまりお目にかからなかったような不気味さも感じられる。もっとも、歌詞を見ると気持ちがざわついている男の意外なポジティブさが描かれていて少し安心するのだが。

 様々な情景が展開されて辿りつく最後の曲「幸せが溢れたら」は3連符のアルペジオとコーラスが荘厳さを醸し出す1曲だが、この曲を聴いているときに「死ぬ前の走馬灯ってこういう感じなんだろうか」なんて思ってしまった。「エロスとタナトス」という考え方もあるが、恋愛に関する表現を突き詰めていくことで生死に関する問題に肉薄してしまう凄みが『幸せが溢れたら』というアルバムには秘められている。

「リア充」まで射程に捉えた失恋の物語

 川谷本人が語っているとおり、今回のアルバムが提示するストーリーを貫くテーマは「ラブソング」「失恋」である。今作の登場人物は、昔の恋人が缶コーヒーを飲んだ時に見せた苦そうな顔に思いを馳せたり(「さよならベル」)、「あなたを忘れない自信がある」なんていうちょっと怖い気持ちを垣間見せたり(「夜汽車は走る」)、さらには相手のことを思い出して泣きながら自転車に乗ったりする(「花をひとつかみ」)。

 ロックバンドにとって、「失恋」というモチーフは必ずしも目新しいものではない。たとえば「好きなあの子に話しかけられない、話しかけられない間にいけてる奴にとられてしまった、あんなチャラい奴のどこがいいんだろう、悔しい」という類の「何も始まらないことを嘆いて悶々とする」タイプの失恋を歌うバンドはたくさんあるし、学校の風景が思い浮かぶような思春期の淡いすれ違いを描くバンドもいる。

 『幸せが溢れたら』で描かれる生々しい失恋の痛みは、もちろん先に述べたような表現に接してきたリスナーにとっても想像できるものとして受け入れられるはずである。ただ、今作で注目すべきは、ここで描かれる失恋の世界に「恋愛にまっすぐ没頭していたカップル」の姿が見えることではないだろうか(「リア充」的な恋愛の光景と言ってもよい)。ヘビーな別離や未練の描写も、2人で向き合った時間があったからこそ生まれる。思いっきり恋をした瞬間と、思いっきり凹む瞬間。そこに変な自意識が入り込む余地はない。そんなピュアな感情の吐露がウェットなメロディに乗ることで完成する神々しい美しさは、「恋愛したいけど恋愛恋愛言いたくない、でも振り向いてほしい」というような屈折した視点からは決して生まれ得ないものである。

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