カジ ヒデキが語る、80年代UKインディシーン「レーベルもやっていたS・パステルは神様でした」

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 80年代の洋楽カルチャーについて、当時のメディアを手がけたキーマンや、その時期に青春をすごしたミュージシャンたちの証言を中心に、各シーンに詳しい音楽ライターから寄稿されたレビューをまとめたムック本『80's洋楽読本』が、1月26日(月)に洋泉社より発刊される。

 インタビュー企画には、石野卓球(電気グルーヴ)、カジ ヒデキ、片寄明人(GREAT3)、Zeebra、高木完、西寺郷太(NONA REEVES)、ハヤシ(POLYSICS)、松武秀樹といったミュージシャンのほか、大根仁(映像ディレクター)、小野島 大(音楽評論家/元『NEWSWAVE』編集長)、恩藏茂(元『FMステーション』編集長)、東郷かおる子(元『ミュージック・ライフ』編集長)、高橋芳朗(音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティ)、平山善成(クリエイティブマンプロダクション)などのメディア関係者が登場。同書の編集を担当したのは、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintで、猪又孝、円堂都司昭、岡村詩野、小野島 大、北濱信哉、栗原裕一郎、さやわか、柴 那典、麦倉正樹、宗像明将、吉羽さおりといった、リアルサウンドでも執筆中の評論家・ライターも寄稿している。

 リアルサウンドでは同書の発売に先駆け、3回に渡って掲載記事の一部を紹介。第1回では、カジ ヒデキのインタビュー全文を公開する。ポップで軽快な音楽性と、独自のファッション・センスで、90年代に渋谷系といわれたシーンを牽引したカジ ヒデキは、80年代のUKインディ・シーンにどんな影響を受けたのか。当時、彼を夢中にしたレーベルやアーティストについて、その魅力をたっぷりと語った。

カジ ヒデキの青春時代

ーーカジさんの音楽性からは、50年代から現在まで幅広い影響がうかがえますが、そのなかでも80年代は特別な時代でしょうか。

カジ ヒデキ(以下、カジ):そうですね。80年に中学に入学したので、80年代はまさにいちばん多感な青春時代のまっただなかという感じでした。吸収力が抜群でしたし、思い出深いものがたくさんあります。

ーーそのころはどんな曲を聴いていましたか?

カジ:洋楽で言えば、最初は『全米TOP40』や『ベストヒットUSA』といった番組で流れていたヒット曲から聴きはじめ、次第にイギリスのニューウェイヴ、デュラン・デュランやマッドネス、カルチャー・クラブといった第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンのあたりから、イギリスの音楽シーンに興味を持つようになりましたね。その前は姉の影響でビートルズやクイーン、ベイ・シティ・ローラーズなども聴いていましたが、80年代初頭はフォリナーやジャーニーなど大ヒットしているものが好きで、高校に入ったころからもっとマイナーなインディ・レーベルのものを聴きはじめた感じです。パンクやハードコア、ポジティブ・パンクなどは、高校1年になってすぐに聴きはじめました。

ーーそうした音楽のどんなところに魅了されたのでしょう。

カジ:斬新な音楽のスタイルはもちろん、ボーイ・ジョージのようなロンドン・ファッションは刺激的で鮮烈でした。その流れでセックス・ピストルズやダムド、ザ・ジャムなどパンクを聴きはじめたのですが、当時リアルタイムだったのはポジティブ・パンクで、バウハウスやセックス・ギャング・チルドレン、ダンス・ソサエティ、ザ・バースデイ・パーティといったバンドがとにかく大好きでした。ダークなサウンド、そして派手派手しいメイクや退廃的なファッションに魅了されました。レーベルではとくに4ADがお気に入りでしたね。コクトー・ツインズ、ジス・モータル・コイル、Xマル・ドイッチェランドなどが好きで、あとはザ・キュアーなども大好きでした。ただ、そのころはレーベルでいうと4ADとミュートくらいしか意識してなくて、19歳のころにザ・スミスを聴くようになったころからザ・スミスのいたラフ・トレード・レコード、アズテック・カメラやオレンジ・ジュースがいたポストカード・レーベル、エヴリシング・バット・ザ・ガールのいたチェリーレッド・レコードなどレーベル単位で聴きこむようになりました。そのころパステルズに出会い、レーベルもやっていたスティーヴン・パステルは神様でした。今でもね(笑)。あとインディ・ポップ系のレーベル、サブウェイ・オーガニゼイションとかも大きかった。当時の『C86』ムーヴメントの影響はすごくありますね。

ーーファッションもゴシック的なものから、変化していったのでしょうか?

カジ:高2から19歳の終わりまではものすごくゴシックでした(笑)。黒いものが多かったですし、スカートだろうが気にせずはいていましたね。当時、原宿にゼクトアーというショップがあって、のちにクリストファー・ネメスというデザイナーが入るのですが、最初は当時のロンドンの最先端デザイナー、無吊のころのジョン・ガリアーノとかジョン・ムーアの靴とか、変わったデザインの帽子とかをあつかっていて、よく買っていました。19歳のときにニューロティック・ドールというゴス・バンドに1年弱加入し、そのころがいちばんゴスを極めていた時期でした。でも、そのバンドを辞めるころには、服装ががらりと変わりましたね。

ーーそれが、ザ・スミスなどを聴くのとともに変化していくわけですね。

カジ:19〜20歳のころはものすごくさまざまなジャンルの音楽を聴き、広がりがすごかったんです。ゴスなどのほかにもアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、コイル、テスト・デプトといったインダストリアル/ノイズみたいな音楽もすごく好きでした。ソニック・ユースは大ブレイクする前の感じが大好きで、プッシー・ガロアといったアメリカのガレージものも好きでしたし、イギリスはプリミティブズ、ウッデントップスなどのギター・ポップ系を掘り出しはじめたころでした。本当はザ・スミスだってもっと早くハマってもよかったんですが、ゴシック好きからはなんとなく取っつきにくさがありました。当時は情報があまりなかったので、ザ・スミスをどういう風に好きになっていいかがわからなかったんです。でも当時、映画監督のデレク・ジャーマンがすごく好きで、彼が撮った「パニック」や「ザ・クイーン・イズ・デッド」などのビデオがものすごくかっこよくて、それで一気にザ・スミスが好きになりました。そのころはポスト・スミスみたいなバンドがたくさんいましたね(笑)、ザ・ウェディング・プレゼントとかね。87年は僕にとって大きな変化の年でした。ちょうどそのころ、フリッパーズ・ギターの前身のロリポップ・ソニックのデビュー・ライブを観たり、アノラックという言葉を知ったり、イギリスのインディ・シーンが載っているファンジン『英国音楽』の小出亜佐子さんと仲良くなって、いろいろ教えてもらったりしました。大阪の阿木譲さんの『ロック・マガジン』もすごい内容が濃くて読んでいました。あのころの大阪のシーンもすごく好きで、ミンカパノピカとかペータースとかテクノポップのシーンも観に行っていました。それが20歳くらいのころですね。

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