市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第7回

嵐が<崖っぷち>アイドルだった頃(前篇)+市川哲史がTOKIOへ“ごめんなさい”

デビュー20周年のTOKIOに謝りたいこと

 と<あのころの嵐>を振り返る前に、昨年デビュー20周年を迎えたTOKIOにもどうしても触れておきたい。というかこの機会に、積極的に謝りたいのである。

 2014年のバラエティ番組平均視聴率ランキング年間1位がなんと『ザ!鉄腕!DASH!!』だったりするように、実はTOKIOはいまや<お茶の間キング>なのだ。

 そんなTOKIOのCDデビューより1年早い1993年暮れに、私もロッキングオン社から独立して新雑誌『音楽と人』を創刊した。もちろん日本のロックがメインのインタヴュー誌だったのだけど、まず各レコード会社に対して「『ロッキングオンジャパン』へのプロモーションを自粛していたアーティストも、遠慮せずどうぞ」と鎖国を解いたため、ユーミンからガールポップ(←死語)からソニマガ系から、なんでもありのラインナップだった。

 折りしも日本のロックとJポップ一色に染まった、まさにアイドル冬の時代。当時はソニーレコード所属ということもあり、ジャニーズ起死回生のアイドルバンド・TOKIOのプロモーションを『音人』も受けた。たしか94年12月リリースの2ndシングル『明日の君を守りたい~YAMATO2520~』のときだと思う。当然それまでジャニーズとは無縁だったのだが、虫の報せか取材することにした。

 ところが取材直前になり、ドラマ撮影の都合から長瀬+山口の欠席が判明。そこで私が面白がって企画したのが、城島茂(g)+松岡昌宏(ds)+国分太一(kb)+筋肉少女帯の大槻ケンヂ(vo,b)という、《TOKIO with 大槻ケンヂ》バンド座談会だったのだ。邪道とはいえ経験豊富なロッカー・大槻が、まだまだ青い果実のTOKIOにロック道を説く。しかもわざわざ楽器をセッティングして、スタジオ・ライヴの模様を撮影(失笑)。そのくだらなさに大いに納得した私は、撮影だけで現場をあとにした。

 それから半月。掲載号の発売日、我々はジャニーズ事務所からいきなり出禁を食らった。その理由はただひとつ――大槻の素敵な教えの数々であった。

1.ロックバンドは各自のエゴのぶつかり合いだ!
2.女のことでモメなきゃ駄目だ!
3.少なくとも3回、朝4時のデニーズで誰かを辞めさせる密談をしないと、ロックじゃない!
4.どうせバンドはモメるから、もう売れてる時にこそピンでやる時のことを考える!
5.生き残りたかったら、友情なんか三の次、四の次! まずはピンでやる時の根回し! もう売れるほど、伸びるほど頭の垂れる稲穂かな。
6.アイドルとロックの中間のTOKIOは、そのうちどちらの路線を選ぶか悩むはず。しかしロックを突き詰めようとすれば、絶対解散する!
7.ロックはワンフをパックンしてなんぼ!
8.あとドラッグ。

 おいおい。松岡は当時、まだ17歳だっつうの。ちなみに城島は大槻稀代の名曲「ボヨヨンロック」が好きで、昔から国分とコピーしていたらしい。

 というわけで嵐の話は後編につづく(苦笑)。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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