宇野維正のSEKAI NO OWARI論

2015年、セカオワ現象はどこまで広がるか? 2年半ぶりのアルバム『Tree』の射程距離

 よく「中高生に大人気のセカオワ」、あるいは「小学生の間で最も人気のあるバンド」といった、若年層からの圧倒的な支持について語られることが多いSEKAI NO OWARI。しかし、本作を聴いて自分が強く感じたのは、小室哲哉プロデュースワークや初期ミスチル/スピッツやドリカム以降途絶えて久しかった「普通の若者の生活に寄り添う歌」の復権だ。宇多田ヒカルや椎名林檎の音楽も確かに流行したが、あれは基本的にはパーソナルな音楽、つまり一人で聴く音楽だった。近年、AKB48や中田ヤスタカ・プロデュースワークの楽曲のいくつかは「2010年代の流行歌」として消費されてきたが、それらもかなり限定されたシチュエーションにおける、限定されたリスナー層のための音楽だったと言わざるを得ない。ところが、SEKAI NO OWARIの本作『Tree』は、リアルワールドから隔絶したファンタジックな作品であると同時に、そのファンタジー世界への敷居がとてつもなく低くて広いのだ。
 
 ファンタジックな言葉の装飾を取り除いた時に見えてくる本作の楽曲の背景は、実はただの雪景色や遊園地や水族館や遠距離カップルが別れを惜しむ夜の東京駅だったりする。曲間に耳を澄ませば、花火が打ち上げられる音や祭囃子まで聞こえてくる。そう、まさに若いカップルの春夏秋冬のリア充ライフに寄り添う流行歌そのもの(そりゃ、ネット民の多くから嫌われるはずだ)。これから先の数年間、本作は80年代のユーミンやサザンのような若者にとってのリゾートミュージック的な役割まで果たすことになるんじゃないか、と自分は予想する。もちろん、今の時代の「リゾート」とは恋人のBMWやボルボでビーチやゲレンデに行くあの時代とは違って、足は電車や軽自動車やレンタカーだったり、その行き先はフェスだったり地元の花火大会だったりするわけだけど。

 (現在までのところ)その人気のピーク期、しかもFNS、Mステ特番、レコ大、紅白の年末フルコースでお茶の間を絨毯爆撃した直後のタイミングに、ヒット曲満載のベスト盤的アルバムにして、ここまで完璧な「普通の若者の歌」の数々を収めた作品をリリースすることになるSEKAI NO OWARI。インディーズ時代初期から取材をしてきた一人として、彼らが今いる場所にその先も安住することになるとはとても思えないのだが、少なくとも2015年の彼らが一体どこまで行ってしまうのか、その行方をとことん見届けていきたいと思う。

■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter

関連記事